「一人一票」を合い言葉に、弁護士たちが提起してきた選挙無効確認訴訟。憲法14条違反だと教えられてきたし、最高裁以下、「違憲状態」にあるとこれまで事情判決でお茶を濁してきたが、この度高裁で相次いで「無効」判決が出たので、各界が喧しい。
「泡沫候補に投票することを信条としてきた」私が、一人一票活動に賛同するどころか興味のかけらもないのは当たり前なのだが、自分の信条抜きで考えて、この判決のもたらす懸念を二つほど、簡単に提起してみたい。
まず、「一人一票」は本当に実現されなければならない権利なのか?
法律を囓っている身としてあるまじき考え方かもしれないが、心から疑問に思うのだから仕方がない。言ってる内容は理解できる、民主主義の根幹を成す選挙制度、その投票活動における一人が投じる「一票」の重みが、地方と都市部では2倍から4,5倍も異なる、これは憲法14条における「平等権」という重大な権利を侵害する・・・云々。
そりゃ形式的にはその通りだ。
でも、これって厳密に、格差を是正しなきゃならないものなのか?人口比で割ったら、例えば沖縄県は議員1人とか、人口の流出が止まらない福島県の議員も1人になっちゃうとか、1人でも人口比に対して格差が出てしまったらどうするんだろうか。0.8人とかね、そうなるとまずいから例えば「福島県と宮城県で足して2人」とかするんだろうけど。
そんな県には人も集まらないだろうし、人が集まらないからまた議員減らさなきゃならないだろうし、ますます過疎地は過疎って、人口密集地は人口が密集することにならないかな。
そこまでして、どうしても実現させたい状態なのか?一人一票。平等権実現の為に、何か大事なものを見失ってないと言い切れるのか?
もう一つ、仮に無効だとして、選挙やり直しますね。(多分、最高裁はそんなアホな判決を下さないと思いますが、仮に。)
すると、次の選挙は、一人一票に限りなく近い、少なくとも違憲状態ではない選挙区割りでの選挙じゃないと意味がない。
じゃぁその区割りをしなきゃならないんだが、それを誰がやるかと言えば、立法府たる国会。
つまり、司法府から「あんたら議員失格。選挙やり直し。」と烙印を押されたその国家議員が、再度立法し直した下で再選挙するってことですよね。
無効とされた議員が立法した区割りで、選挙するのか?
それって背理じゃないか?
過去物凄く衝撃を受けた投票ポリシーがある。ある人は、人生未だかつて一度も「投票」に行った事がないというのだ。国政選挙だろうが、地方選挙だろうが、所謂参政権の一つとしての投票行動に行った事が、ない。
なぜか。
将来、「革命」が起きた時に備えているからだというのだ。
万一、革命が起きて、共産国家になった時、必ず踏み絵をされるんだと。そして、現国家への忠誠を誓わされると。
その時、「いや、私は共産党に投票していた・・・」と弁明しても絶対信用されっこない。その為には、投票に行ったという形跡を残さないのが一番なんだ、と。
どこまで本気なんだかという感じだが、太平洋戦争を経て、戦前・戦後の激動期を経て、一夜にして政権どころか「国家統治権」の全てがひっくり返って、それまでの価値観も一変させられたという極限体験をしてきた人は、そこまで考えるということだ。
ご存じかと思うが、「誰が」投票したか・しないかというのは、選挙管理委員会は把握している。勿論「誰に」投票したかというのは把握しようがないが。でも、あれって過去の分全部ストックしてるのかなぁ。破棄してるんじゃないかなぁ。
最後に、一人一票活動に名を連ねてる弁護士さん達、結構知ってる方々もいる。中には本気で熱く闘っている人もいるだろうが、どう考えても「勝ち馬に乗る」的に参加してる弁護士もいるような気がしてならない。一銭も儲からない、権利のために闘ってるんだとおっしゃるかもしれないが、弁護士としての達成感や名誉欲が充たされ、宣伝活動にも一役買ってるはずだ。
余計なお世話だろうが、この訴訟活動は伊藤真ひとりに任せて、自分の仕事をしたらどうだろうか?
追記:で、試しに東京都選管を相手にした訴訟の「上告理由書」を読んでみた。
書いてありましたありました、選挙区を「都道府県という行政区画の枠組みの中で考えるべきではない」として、例として「北海道最南端地域と青森県津軽半島北側地域との合併選挙区」とか「徳島県鳴門市含む淡路島近辺と、兵庫県淡路島との合併選挙区」とか、「山口県下関市を含む地域と、九州の門司を含む地域との合併選挙区」とかを提案し、「これらは交通の不便性もないから、問題ない。いやむしろ一人一票の憲法価値を実現する為に叶っている!」とか声高に書いてあるのだ。
何なんだろうこの強烈な違和感。人は普通、自分の出身地について「○○県民です」と言うし、「県民性」という言葉がある位、都道府県というのは単なる行政区画ではないのだ。日本人の郷里愛を全く理解していない、頭だけで考えて書いた上告理由書だ。「県」なんか、投票価値の平等の前にはどうでもいいってか。いや、この例は「県」という行政区のみならず、「北海道と本州を一つに」「中国地方と四国を一つに」と言ってるんだから、ならばいっそのこと、かつての参議院選挙みたくオール「全国区」でいいじゃん、これぞまさしく、「完全一人一票」実現だ。
原告団の言ってることは、結局のところ、日本の国政選挙を「全国区」でやろうよって言ってるに等しいってことだ。
「泡沫候補に投票することを信条としてきた」私が、一人一票活動に賛同するどころか興味のかけらもないのは当たり前なのだが、自分の信条抜きで考えて、この判決のもたらす懸念を二つほど、簡単に提起してみたい。
まず、「一人一票」は本当に実現されなければならない権利なのか?
法律を囓っている身としてあるまじき考え方かもしれないが、心から疑問に思うのだから仕方がない。言ってる内容は理解できる、民主主義の根幹を成す選挙制度、その投票活動における一人が投じる「一票」の重みが、地方と都市部では2倍から4,5倍も異なる、これは憲法14条における「平等権」という重大な権利を侵害する・・・云々。
そりゃ形式的にはその通りだ。
でも、これって厳密に、格差を是正しなきゃならないものなのか?人口比で割ったら、例えば沖縄県は議員1人とか、人口の流出が止まらない福島県の議員も1人になっちゃうとか、1人でも人口比に対して格差が出てしまったらどうするんだろうか。0.8人とかね、そうなるとまずいから例えば「福島県と宮城県で足して2人」とかするんだろうけど。
そんな県には人も集まらないだろうし、人が集まらないからまた議員減らさなきゃならないだろうし、ますます過疎地は過疎って、人口密集地は人口が密集することにならないかな。
そこまでして、どうしても実現させたい状態なのか?一人一票。平等権実現の為に、何か大事なものを見失ってないと言い切れるのか?
もう一つ、仮に無効だとして、選挙やり直しますね。(多分、最高裁はそんなアホな判決を下さないと思いますが、仮に。)
すると、次の選挙は、一人一票に限りなく近い、少なくとも違憲状態ではない選挙区割りでの選挙じゃないと意味がない。
じゃぁその区割りをしなきゃならないんだが、それを誰がやるかと言えば、立法府たる国会。
つまり、司法府から「あんたら議員失格。選挙やり直し。」と烙印を押されたその国家議員が、再度立法し直した下で再選挙するってことですよね。
無効とされた議員が立法した区割りで、選挙するのか?
それって背理じゃないか?
過去物凄く衝撃を受けた投票ポリシーがある。ある人は、人生未だかつて一度も「投票」に行った事がないというのだ。国政選挙だろうが、地方選挙だろうが、所謂参政権の一つとしての投票行動に行った事が、ない。
なぜか。
将来、「革命」が起きた時に備えているからだというのだ。
万一、革命が起きて、共産国家になった時、必ず踏み絵をされるんだと。そして、現国家への忠誠を誓わされると。
その時、「いや、私は共産党に投票していた・・・」と弁明しても絶対信用されっこない。その為には、投票に行ったという形跡を残さないのが一番なんだ、と。
どこまで本気なんだかという感じだが、太平洋戦争を経て、戦前・戦後の激動期を経て、一夜にして政権どころか「国家統治権」の全てがひっくり返って、それまでの価値観も一変させられたという極限体験をしてきた人は、そこまで考えるということだ。
ご存じかと思うが、「誰が」投票したか・しないかというのは、選挙管理委員会は把握している。勿論「誰に」投票したかというのは把握しようがないが。でも、あれって過去の分全部ストックしてるのかなぁ。破棄してるんじゃないかなぁ。
最後に、一人一票活動に名を連ねてる弁護士さん達、結構知ってる方々もいる。中には本気で熱く闘っている人もいるだろうが、どう考えても「勝ち馬に乗る」的に参加してる弁護士もいるような気がしてならない。一銭も儲からない、権利のために闘ってるんだとおっしゃるかもしれないが、弁護士としての達成感や名誉欲が充たされ、宣伝活動にも一役買ってるはずだ。
余計なお世話だろうが、この訴訟活動は伊藤真ひとりに任せて、自分の仕事をしたらどうだろうか?
追記:で、試しに東京都選管を相手にした訴訟の「上告理由書」を読んでみた。
書いてありましたありました、選挙区を「都道府県という行政区画の枠組みの中で考えるべきではない」として、例として「北海道最南端地域と青森県津軽半島北側地域との合併選挙区」とか「徳島県鳴門市含む淡路島近辺と、兵庫県淡路島との合併選挙区」とか、「山口県下関市を含む地域と、九州の門司を含む地域との合併選挙区」とかを提案し、「これらは交通の不便性もないから、問題ない。いやむしろ一人一票の憲法価値を実現する為に叶っている!」とか声高に書いてあるのだ。
何なんだろうこの強烈な違和感。人は普通、自分の出身地について「○○県民です」と言うし、「県民性」という言葉がある位、都道府県というのは単なる行政区画ではないのだ。日本人の郷里愛を全く理解していない、頭だけで考えて書いた上告理由書だ。「県」なんか、投票価値の平等の前にはどうでもいいってか。いや、この例は「県」という行政区のみならず、「北海道と本州を一つに」「中国地方と四国を一つに」と言ってるんだから、ならばいっそのこと、かつての参議院選挙みたくオール「全国区」でいいじゃん、これぞまさしく、「完全一人一票」実現だ。
原告団の言ってることは、結局のところ、日本の国政選挙を「全国区」でやろうよって言ってるに等しいってことだ。