カレンダーをめくるのを忘れていた。1・2月のカレンダーを破ったら、桜吹雪だった。


わたせせいぞうのカレンダーは、1997年から一年たりとも欠かさず毎年飾っている。
もう16年目になると気付いてびっくり。しかも結構毎年、マンネリな絵だ。3月4月の柄が桜じゃない年なんて、あったっけ。
わたせせいぞうはやっぱり、日本人なんだなぁと思う。四季折々の色彩は、日本人ならでは。
1・2月は白い雪景色、3・4月はピンクの桜、5・6月は新緑、7・8月は青い海、9・10月は赤い紅葉、そして11・12月はイルミネーション。もう毎年繰り返しの四季の象徴。
偉大なるマンネリ、万歳!

ピンク色のワンピースは、永遠の憧れ。女性にしか許されない色、それがピンク。
若い頃、西田武生の桃色のスーツに目が留まって、試着してみたらまるでちんどん屋だった。それが初めての私のピンクの服体験。
それから今に至るまで、数限りなくピンク色の服に挑戦してきた。ピンク、と言っても色味は100通り位ある。黄色転びのピンク、青み転びのピンク、淡いピンク、濃いピンク、くすみのないピンク、グレイッシュなピンク・・・その中で、自分に合う色味のピンクというのがあると、ようやく最近分かってきた。

その中でも淡めの色調の「さくら色」は、どうしても自分には合わない。合わないと分かっていても、どうしても着たくなる。よせばいいのに、何回か、合わない色でかつ最難関のワンピースというアイテムに手を出したくなる。
数年前に後輩の結婚式の為に手を出してしまった、FOXEYのさくら色のワンピース。結果はさんざん。口さがない男の子達から「場末の年増のキャバ嬢」とさんざんからかわれ、トラウマレベル。確かにあれは大失敗だった。

なのに性懲りもなく、桜の開花便りが届くとまた、自分に合うさくら色のワンピースはないものかと、ショーウインドウに目を漂わせてしまう。

さて、先日「ルネ」というブティックからの留守電を聞いたら、「DMが届いたかと思いますが、お似合いになりそうなアイテムが入荷しました」と担当者の可愛らしい声で誘惑の囁き。「ルネ」は、ポスト・FOXEYとして何年も前から育てて来た愛すべきブランド。でも最近は自分に合う服を見つけるのが難しくなった。
40歳を過ぎてから、FOXEYやルネが似合わなくなった・・・と先日嘆いてみたが、この日が来るのを予期していたかのような、ファッション誌に掲載されていたコラムの切り抜きを発見した。
それは、漫画家の槇村さとるさんのコラムで、「ユマ・サーマンが着ていたツイードジャケットがどうしても欲しくなり、そのブティックに赴いて試着したが、どこか違和感があったので買わなかった」というもの。

「40代半ば。私は新しい服の必要を感じていた。それまで着回していた服が、ある日突然、色を失う時がある。」

熱狂し惚れて手に入れて信頼した服が、ある日突然、無味になるというのだ。
ううむ。流石に上手い表現だ。「ある日突然、色を失う・・・」的確かつ詩的な表現。ナンシー関といい、この槇村さとるといい、プロの書く「言葉」は格が違う。
そして、「だたのオバサンになるか、大人の女になるか、その分かれ目は自分の中に生まれた違和感に敏感かどうか」なんて・・・私が先日書いた内容を物凄く洗練して言えばこういうことかな。
この切り抜きは、数年前のもの。いつか自分にもこんな日がくるんじゃないかと心に留まり、とっておいたのだということを、しばらくしてから思い出した。

さて、帰宅してルネのDMをワクワクしながら見ると・・・


これはないわー。素敵だけど、この化繊の質感、このシルエット、ピンクのワンピース以前の問題。
大人の女は、こういう服を着てはいけない。その位のことは、試着しなくても、分かる。
ようやく、「諦め」を素直に受け入れる事ができるようになったのかな。

それでもまだ、どこかに自分に合う憧れ色の服はないかと心の片隅で探し続けている。