Destiny,chance or choice?
夏休みに入り、久々に私的なことを綴ります(いつも書いてるじゃないか!という突っ込みはさておき・・・)
今日は、とてもミラクル&ラッキーな事が続きました。
その話をする前に。
3月に、NHKで「コロンビア白熱教室」で、「選択の科学」というのを放送していました。
両親から「とても良かったから、是非見なさい」と言われ、DVDに録っていたのですが、
「ハーバード白熱教室」とかマイケル・サンデルとか正直飽き飽きしていたので(元来へそ曲がりなので、、、)、無視していました。
その3月。私は自身の進路について悩み考え、一つの結論を出していたのですが、
ある友人にその結論を話したら、
「こないだ、NHKでコロンビアビジネススクールの選択の科学っていうのをやっていたんだけどね・・・」と切り出され、
私の話を聞いて、その番組を思い出した、と。
「人生は【選択】することの積み重ねによって成り立っているという話で・・・」
そして、
「スピリチュアルにはまる人はその選択を放棄しているけど、
選択するということは実は重い責任があるから逃げたくなるんだよね。」
と、語り、それから、私の「選択」について、エールを送ってくれたということがありました。
彼女は実は、以前スピリチュアルにはまっていて、ある時ハッと目が覚めたという人。
その彼女が、とても面白かったと言っていた番組だから、
そのうち時間ができたら、録画でも見ようかと思う事にしました。
そして2週間ほど前に、週刊文春で「選択の科学」の記事が。
元々刊行されていた「選択の科学」に加え、この度「選択日記」を発売するのでその為の記事だったようです。
というわけでこの夏読もう&日記をつけようと、
重い腰を上げてようやく買ってきました。
手っ取り早くコンパクトな「選択日記」をぱらぱらめくると、
・・・
「どんなささいなことでもいい。自分で選んでいるという意識を持とう」
「仕事はやらされるのではない。仕事はするものなのだ」
「提示された枠組みをまず疑ってみる」
「人は自分が見たいものを見る」
「間違った選択こそ、書き留めておこう」
「自分のいる世界ではない別の世界で物事がどう見えるか考えてみる」
「苦い選択は自分で決めるな。他人の意見を聞こう」
不遜を承知で書きますと、
私が思ったことと同じ事が書いてある!!
この本は、インドからの移民で、盲目の女性が自らの経験を基に「選択」について研究した成果であり、彼女は今、コロンビアビジネススクールの教授なのです。
国や境遇、人生において乗り越えてきた試練、そして知的レベルがはるかに違っているのに、
彼女の言葉に深く共鳴してしまうだけではなく、
「これ、数ヶ月前に自分が書いた言葉じゃないか?」
などと実に失礼かつ傲慢・尊大・思い上がった言葉がつい口から漏れてしまいます・・・
今日は、試験も終わったので、その「友達」と、
表参道の超人気店「bills」で密やかに打ち上げをしました。
帰りに、私が母校に寄ると言ったら、
彼女は珍しく「私も行く」と。
彼女は卒業してからもう何年も、一歩も母校に足を踏み入れた事がないのです。
いつ誘っても絶対に行かないので、今日も当然、そのまま帰ると思っていました。
それが今日に限って、母校で買いたい物があるから・・・と言うのです。
意外に思いながら母校に向かう途中、
それまで話題に出なかった、スピリチュアル批判談義に花が咲いてしまいました。
母校に到着すると。
母校に行ったらまず会うと思うよ、
と言っていた人にいきなりバッタリ遭遇。
お互い懐かしがって再会を驚き合ったのですが、
そこで友達が、「ある大切なもの」を置き忘れていたのだけれど、
手に入らないだろうか・・・と何気なく話したところ、
そのまま、あれよあれよという間に、その「ある大切なもの」を、
手に入れてしまったのです。
友達のプライバシーもあるので、具体的に書けないのですが、
それはそれは驚きでした。
何故なら、
卒業以来一度も行った事のない彼女が、
このタイミングで訪れ、ある人と出会わなければ、
そしてその場で申し出てみなければ、
その「大切なもの」は絶対入手出来ない類のものだからです。
おまけに、「買いたい物」というのも、商品がなくて買えなかったのですが、
何と。その人から「ちょうど余ってたから、あげるわ」と、
貰うことができたのです。
それは、彼女がその人にぼそっと「買いたい物があるので」
と言ったからなのだと思いますが、
それを入手出来なかったと言う事は知らない筈なので、
ひたすら幸運に驚き、感動でした。
ついでに私の方も、長年、
ある先生にアポを取ってお願いしたいなぁと思っていた事があったのですが、
その方法とタイミングが難しく、半ば諦めていたのです。
そうしたら今日、運良く、その先生と出会うことができ、お願いも叶ってしまったのです。
帰り道、友達が
「いやぁ~すごい偶然。こんなことってあるの?でもこれ運命じゃないからね!ただの偶然よ!」
とニヤリ。
私も彼女の言いたい事が分かっているので、
「うん、それに、あそこで言ってみるという行動を選択したから、手に入ったわけだしね」
と。
彼女と別れてから、道すがら、「選択日記」を開いて見ました。
今日は彼女と会うので、「これ、買ったよ!」と言おうと思って鞄に入れていたものです。
他の話で弾んでしまい、言わず&見せずに終わってしまいましたが・・・
Destiny,chance or choice?
「人生は、運命、偶然ととらえるより選択ととらえよ」
そうです、シーナ・アイエンガー(選択の科学の著者)によれば、
あなたは、あそこで「母校に行く」という選択をし、
「あれが欲しいと言ってみる」という選択をし、
「買い物があると言ってみる」という選択をした、
その結果(成果)なのです。
運命、偶然ととらえるのではなく、自身の選択ととらえることで、
自分の可能性が広がり、人生を力強く、歩んで行くことのできる、パワーが湧き出る。
ここで大事なことは、シーナ・アイエンガーは、
「人生は運命、偶然ではなく選択だ」
とは言っていないということです。
今日起きたことの幾つかは、運命だか偶然だかの要素があると思います。
しかしそれをクローズアップするのではなく、
「選択」した部分を、文字通り「とらえ」るのです。
それを、「運命」ととらえると、受動的で、魅力のない人生にしかなりません。
しかも、歯車が良い方向に回っている時であればまだしも、悪い方向の時、
無力で運命に流されるだけの人生になってしまいます。
それを、「偶然」ととらえると、単なる「ラッキー」で終わってしまうので、
これまた表面的で刹那的な人生になってしまいそうです。
それを、「引き寄せ」ととらえると・・・
これは、間違いなく怪しい方向に行ってしまいます。人生翻弄されるだけでしょう。
しかし、「選択」ととらえると、自分で人生をクリエイトしていると思えるので、
能動的で自信が湧いてくる、失敗に対しても後ろ向きにならずに、
豊かで生き生きとした人生を送ることができる。
それだけではなく、選択を振り返り反省・学習することで、
より良い選択、即ちより良い人生を創ることができるのです。
さすがに私もそこまで考えていませんでしたね・・・
シーナ・アイエンガーと私の大切な友達に乾杯!という気分です
夏休みに入り、久々に私的なことを綴ります(いつも書いてるじゃないか!という突っ込みはさておき・・・)
今日は、とてもミラクル&ラッキーな事が続きました。
その話をする前に。
3月に、NHKで「コロンビア白熱教室」で、「選択の科学」というのを放送していました。
両親から「とても良かったから、是非見なさい」と言われ、DVDに録っていたのですが、
「ハーバード白熱教室」とかマイケル・サンデルとか正直飽き飽きしていたので(元来へそ曲がりなので、、、)、無視していました。
その3月。私は自身の進路について悩み考え、一つの結論を出していたのですが、
ある友人にその結論を話したら、
「こないだ、NHKでコロンビアビジネススクールの選択の科学っていうのをやっていたんだけどね・・・」と切り出され、
私の話を聞いて、その番組を思い出した、と。
「人生は【選択】することの積み重ねによって成り立っているという話で・・・」
そして、
「スピリチュアルにはまる人はその選択を放棄しているけど、
選択するということは実は重い責任があるから逃げたくなるんだよね。」
と、語り、それから、私の「選択」について、エールを送ってくれたということがありました。
彼女は実は、以前スピリチュアルにはまっていて、ある時ハッと目が覚めたという人。
その彼女が、とても面白かったと言っていた番組だから、
そのうち時間ができたら、録画でも見ようかと思う事にしました。
そして2週間ほど前に、週刊文春で「選択の科学」の記事が。
元々刊行されていた「選択の科学」に加え、この度「選択日記」を発売するのでその為の記事だったようです。
というわけでこの夏読もう&日記をつけようと、
重い腰を上げてようやく買ってきました。
手っ取り早くコンパクトな「選択日記」をぱらぱらめくると、
・・・
「どんなささいなことでもいい。自分で選んでいるという意識を持とう」
「仕事はやらされるのではない。仕事はするものなのだ」
「提示された枠組みをまず疑ってみる」
「人は自分が見たいものを見る」
「間違った選択こそ、書き留めておこう」
「自分のいる世界ではない別の世界で物事がどう見えるか考えてみる」
「苦い選択は自分で決めるな。他人の意見を聞こう」
不遜を承知で書きますと、
私が思ったことと同じ事が書いてある!!
この本は、インドからの移民で、盲目の女性が自らの経験を基に「選択」について研究した成果であり、彼女は今、コロンビアビジネススクールの教授なのです。
国や境遇、人生において乗り越えてきた試練、そして知的レベルがはるかに違っているのに、
彼女の言葉に深く共鳴してしまうだけではなく、
「これ、数ヶ月前に自分が書いた言葉じゃないか?」
などと実に失礼かつ傲慢・尊大・思い上がった言葉がつい口から漏れてしまいます・・・
今日は、試験も終わったので、その「友達」と、
表参道の超人気店「bills」で密やかに打ち上げをしました。
帰りに、私が母校に寄ると言ったら、
彼女は珍しく「私も行く」と。
彼女は卒業してからもう何年も、一歩も母校に足を踏み入れた事がないのです。
いつ誘っても絶対に行かないので、今日も当然、そのまま帰ると思っていました。
それが今日に限って、母校で買いたい物があるから・・・と言うのです。
意外に思いながら母校に向かう途中、
それまで話題に出なかった、スピリチュアル批判談義に花が咲いてしまいました。
母校に到着すると。
母校に行ったらまず会うと思うよ、
と言っていた人にいきなりバッタリ遭遇。
お互い懐かしがって再会を驚き合ったのですが、
そこで友達が、「ある大切なもの」を置き忘れていたのだけれど、
手に入らないだろうか・・・と何気なく話したところ、
そのまま、あれよあれよという間に、その「ある大切なもの」を、
手に入れてしまったのです。
友達のプライバシーもあるので、具体的に書けないのですが、
それはそれは驚きでした。
何故なら、
卒業以来一度も行った事のない彼女が、
このタイミングで訪れ、ある人と出会わなければ、
そしてその場で申し出てみなければ、
その「大切なもの」は絶対入手出来ない類のものだからです。
おまけに、「買いたい物」というのも、商品がなくて買えなかったのですが、
何と。その人から「ちょうど余ってたから、あげるわ」と、
貰うことができたのです。
それは、彼女がその人にぼそっと「買いたい物があるので」
と言ったからなのだと思いますが、
それを入手出来なかったと言う事は知らない筈なので、
ひたすら幸運に驚き、感動でした。
ついでに私の方も、長年、
ある先生にアポを取ってお願いしたいなぁと思っていた事があったのですが、
その方法とタイミングが難しく、半ば諦めていたのです。
そうしたら今日、運良く、その先生と出会うことができ、お願いも叶ってしまったのです。
帰り道、友達が
「いやぁ~すごい偶然。こんなことってあるの?でもこれ運命じゃないからね!ただの偶然よ!」
とニヤリ。
私も彼女の言いたい事が分かっているので、
「うん、それに、あそこで言ってみるという行動を選択したから、手に入ったわけだしね」
と。
彼女と別れてから、道すがら、「選択日記」を開いて見ました。
今日は彼女と会うので、「これ、買ったよ!」と言おうと思って鞄に入れていたものです。
他の話で弾んでしまい、言わず&見せずに終わってしまいましたが・・・
Destiny,chance or choice?
「人生は、運命、偶然ととらえるより選択ととらえよ」
そうです、シーナ・アイエンガー(選択の科学の著者)によれば、
あなたは、あそこで「母校に行く」という選択をし、
「あれが欲しいと言ってみる」という選択をし、
「買い物があると言ってみる」という選択をした、
その結果(成果)なのです。
運命、偶然ととらえるのではなく、自身の選択ととらえることで、
自分の可能性が広がり、人生を力強く、歩んで行くことのできる、パワーが湧き出る。
ここで大事なことは、シーナ・アイエンガーは、
「人生は運命、偶然ではなく選択だ」
とは言っていないということです。
今日起きたことの幾つかは、運命だか偶然だかの要素があると思います。
しかしそれをクローズアップするのではなく、
「選択」した部分を、文字通り「とらえ」るのです。
それを、「運命」ととらえると、受動的で、魅力のない人生にしかなりません。
しかも、歯車が良い方向に回っている時であればまだしも、悪い方向の時、
無力で運命に流されるだけの人生になってしまいます。
それを、「偶然」ととらえると、単なる「ラッキー」で終わってしまうので、
これまた表面的で刹那的な人生になってしまいそうです。
それを、「引き寄せ」ととらえると・・・
これは、間違いなく怪しい方向に行ってしまいます。人生翻弄されるだけでしょう。
しかし、「選択」ととらえると、自分で人生をクリエイトしていると思えるので、
能動的で自信が湧いてくる、失敗に対しても後ろ向きにならずに、
豊かで生き生きとした人生を送ることができる。
それだけではなく、選択を振り返り反省・学習することで、
より良い選択、即ちより良い人生を創ることができるのです。
さすがに私もそこまで考えていませんでしたね・・・
シーナ・アイエンガーと私の大切な友達に乾杯!という気分です