私が兼ねてからずっと考えている事で、
誰か主張しているのを、未だ聞いたことがないことがある。
「いじめ」、特に5~6歳から大人になるまでの間の「いじめ」行為は、
その全てが、刑法上の犯罪が立派に成立してしまうのである。
ぶつ、蹴る、殴る →暴行罪
怪我をさせる →傷害罪
悪口を言う、嘘の情報を流す →名誉毀損罪、侮辱罪
暴言、脅す →脅迫罪
物をとる →窃盗罪
物を壊す、教科書に落書き →器物損壊罪
羽交い締め、ロープで縛る →逮捕罪
嫌がることを無理矢理させる →強要罪
脅して金を持ってこさせる →恐喝罪
「仲間外れにする」だけは、刑法上なんら犯罪を構成しないが、
ほぼ、「いじめ」の実行行為は上記のいずれかに当たる筈だ。
ただ、それが、年齢や程度に応じて
「いくらなんでも6歳の子がちょっとぶったくらいで暴行罪なんて」
という常識的感覚に置き換えられるだけであって、
事実は、人をぶてば、暴行罪(刑法208条)が成立し、
2年以下の懲役又は30万円以下の罰金が科せられるのである。
・・・大人になれば、の話だが。
ところが。
学校の教師、特に公立学校の教師というのは、どういうわけか、
これをわざわざ言い換えるのである。
こんな風に。
ぶったり蹴ったり →ふざけあいっこ
複数人が一人を代わる代わるぶったり蹴ったり →ふざけあいっこの行き過ぎ
私がかつて担任の言葉に、我を忘れてカッとなってしまったのは、
(私は滅多に感情的にはならない)
後にも先にも前回の
「じゃ、どうすればいいんですか?」
という言葉と、
7~8人から代わる代わる暴行された息子の事をこのように話した、
「泣きながら私の所に来たんですが、
どうやらふざけあいっこが行き過ぎてしまったようで」
という言葉だけである。
思わず私は声を荒げ、「ふざけあいっこって言うんですか?
それ、集団暴行、集団リンチって言うんじゃないんですか?」
と詰め寄ったが、
担任はあくまでも「身体の接触を通して遊び方を覚えていく年頃なので」
などと神経を更に更に更に逆撫でする言葉を重ねていくのだった。
いじめについて、相当程度、調べたのだが、
この「言い換え」というのは、全国の公立学校において、
常套化しているのだという。
いじめ →けんか
嫌がらせ →いたずら、悪ふざけ
絶対に「いじめ」がありました、なんて言わないらしい。
「ちょっとしたトラブルがありまして」と、なんでもかんでも
「けんか」「いたずら」「トラブル」の3つに、
わざわざ言い換えるらしいのである。
例えば「うちの子がいじめられた件ですが」と言うと
「あー、トラブルがあった件ですね」とか
「連日嫌がらせをされているんです」と言うと
「あー、悪ふざけがすぎたようですね」とか
わざわざ言い換えるんである。
つまり、恐らく、教師にとっては、
こんな具合に脳内変換されるらしい。
ぶつ、蹴る、殴る →けんか、若しくはトラブル
怪我をさせる →けんかして怪我をした、若しくはトラブル
悪口を言う、嘘の情報を流す →ただの悪口、若しくはトラブル
暴言、脅す →悪口の行き過ぎ、若しくはトラブル
物をとる →いたずら、若しくはトラブル
物を壊す、教科書に落書き →いたずら、若しくはトラブル
羽交い締め、ロープで縛る →いたずらの行き過ぎ、若しくはトラブル
嫌がることを無理矢理させる →あそび、若しくはトラブル
脅して金を持ってこさせる →あそびの行き過ぎ、若しくはトラブル
今回も漏れなく聞こえてきたが、
よくある言い訳として出てくる「仲良しグループだと思ってた」
いじめの実態についてちょっとでも調べれば、
「顔も名前も知らない間柄ではいじめは存在しない。
接触頻度が高い人間関係においてこそ、いじめが発生する」
という事くらい、どこにでも書いてある。
だから、「仲良しグループに見える関係だからこそ」いじめが存在するのであって、
不勉強というよりは、確信犯にすら思えるその抗弁に、
バカじゃないだろうかと、ただただ呆れるのである。
いじめがなくならないのは、
教師をはじめ、親、大人達が、
「いじめ」と呼ばれる行為のほとんど全てが、
実は犯罪を構成してしまうんだ、
ということの認識を持っていないからだと、私は考えている。
教師が「あそび」「いたずら」だと思っているのであれば、
「やりすぎるなよ」という程度の抑止力すら働かず、
いじめる側にとっては、いじめをやめる理由が全くないではないか。
「相手の気持ちを考えて」「人が嫌がることを自分がされたらどう思うか」
などと情操教育に訴えることの欺瞞にそろそろ気付いて頂きたい。
相手が嫌がるから、面白いんじゃないか。
それが「いじめ」だ。
誰か主張しているのを、未だ聞いたことがないことがある。
「いじめ」、特に5~6歳から大人になるまでの間の「いじめ」行為は、
その全てが、刑法上の犯罪が立派に成立してしまうのである。
ぶつ、蹴る、殴る →暴行罪
怪我をさせる →傷害罪
悪口を言う、嘘の情報を流す →名誉毀損罪、侮辱罪
暴言、脅す →脅迫罪
物をとる →窃盗罪
物を壊す、教科書に落書き →器物損壊罪
羽交い締め、ロープで縛る →逮捕罪
嫌がることを無理矢理させる →強要罪
脅して金を持ってこさせる →恐喝罪
「仲間外れにする」だけは、刑法上なんら犯罪を構成しないが、
ほぼ、「いじめ」の実行行為は上記のいずれかに当たる筈だ。
ただ、それが、年齢や程度に応じて
「いくらなんでも6歳の子がちょっとぶったくらいで暴行罪なんて」
という常識的感覚に置き換えられるだけであって、
事実は、人をぶてば、暴行罪(刑法208条)が成立し、
2年以下の懲役又は30万円以下の罰金が科せられるのである。
・・・大人になれば、の話だが。
ところが。
学校の教師、特に公立学校の教師というのは、どういうわけか、
これをわざわざ言い換えるのである。
こんな風に。
ぶったり蹴ったり →ふざけあいっこ
複数人が一人を代わる代わるぶったり蹴ったり →ふざけあいっこの行き過ぎ
私がかつて担任の言葉に、我を忘れてカッとなってしまったのは、
(私は滅多に感情的にはならない)
後にも先にも前回の
「じゃ、どうすればいいんですか?」
という言葉と、
7~8人から代わる代わる暴行された息子の事をこのように話した、
「泣きながら私の所に来たんですが、
どうやらふざけあいっこが行き過ぎてしまったようで」
という言葉だけである。
思わず私は声を荒げ、「ふざけあいっこって言うんですか?
それ、集団暴行、集団リンチって言うんじゃないんですか?」
と詰め寄ったが、
担任はあくまでも「身体の接触を通して遊び方を覚えていく年頃なので」
などと神経を更に更に更に逆撫でする言葉を重ねていくのだった。
いじめについて、相当程度、調べたのだが、
この「言い換え」というのは、全国の公立学校において、
常套化しているのだという。
絶対に「いじめ」がありました、なんて言わないらしい。
「ちょっとしたトラブルがありまして」と、なんでもかんでも
「けんか」「いたずら」「トラブル」の3つに、
わざわざ言い換えるらしいのである。
例えば「うちの子がいじめられた件ですが」と言うと
「あー、トラブルがあった件ですね」とか
「連日嫌がらせをされているんです」と言うと
「あー、悪ふざけがすぎたようですね」とか
わざわざ言い換えるんである。
つまり、恐らく、教師にとっては、
こんな具合に脳内変換されるらしい。
ぶつ、蹴る、殴る →けんか、若しくはトラブル
怪我をさせる →けんかして怪我をした、若しくはトラブル
悪口を言う、嘘の情報を流す →ただの悪口、若しくはトラブル
暴言、脅す →悪口の行き過ぎ、若しくはトラブル
物をとる →いたずら、若しくはトラブル
物を壊す、教科書に落書き →いたずら、若しくはトラブル
羽交い締め、ロープで縛る →いたずらの行き過ぎ、若しくはトラブル
嫌がることを無理矢理させる →あそび、若しくはトラブル
脅して金を持ってこさせる →あそびの行き過ぎ、若しくはトラブル
今回も漏れなく聞こえてきたが、
よくある言い訳として出てくる「仲良しグループだと思ってた」
いじめの実態についてちょっとでも調べれば、
「顔も名前も知らない間柄ではいじめは存在しない。
接触頻度が高い人間関係においてこそ、いじめが発生する」
という事くらい、どこにでも書いてある。
だから、「仲良しグループに見える関係だからこそ」いじめが存在するのであって、
不勉強というよりは、確信犯にすら思えるその抗弁に、
バカじゃないだろうかと、ただただ呆れるのである。
いじめがなくならないのは、
教師をはじめ、親、大人達が、
「いじめ」と呼ばれる行為のほとんど全てが、
実は犯罪を構成してしまうんだ、
ということの認識を持っていないからだと、私は考えている。
教師が「あそび」「いたずら」だと思っているのであれば、
「やりすぎるなよ」という程度の抑止力すら働かず、
いじめる側にとっては、いじめをやめる理由が全くないではないか。
「相手の気持ちを考えて」「人が嫌がることを自分がされたらどう思うか」
などと情操教育に訴えることの欺瞞にそろそろ気付いて頂きたい。
相手が嫌がるから、面白いんじゃないか。
それが「いじめ」だ。