大津市、遺族にいじめの日時特定要求 中2自殺訴訟
京都新聞 7月7日(土)16時49分配信
大津市で昨年10月、マンションから飛び降り自殺した男子生徒=当時(13)=の遺族が、自殺はいじめが原因として市などに損害賠償を求めた訴訟で、「校内で教師がいじめを見逃していた」との事実認定をめぐり、市側が遺族に対し、いじめの日時や現場を特定するよう求めていたことが7日、分かった。
遺族側は「学校内部で起きたことを両親が特定できるわけがない。本来は市側が調査し、明らかにするべきことではないか」と反発。いじめの実態や自殺との因果関係を立証する責任は原告にあるとする市の姿勢を批判している。
学校が全校生徒に実施したアンケートでは、「一度、先生は注意したが、その後は一緒になって笑っていた」「見て見ぬふりをしていた」など14人の生徒が、教師がいじめを見逃していた可能性を証言している。
遺族はこれらの証言などを基に、訴状で「教師が教室内や廊下で何度もいじめを見ていたが、慢然と見逃してきた」と指摘した。
これに対し市側は5月に大津地裁に提出した答弁書で「いつ、誰が、どこでいじめを目撃したのか明らかにするように」と遺族に要求。さらに「いかなる措置を講じれば自殺を回避することができたか」と逆に説明を求めている。
私はこれまで、行政がその管轄下において、適切な措置を執らなかったが故に、
痛ましい犠牲者が出てしまった事例を、何度もここで糾弾している。
警察が怠慢により動かなかったことにより、殺された。
児童相談所が怠慢により動かなかったことにより、虐待死を防げなかった。
今回、警察よりも児相よりも度し難く腐りきっているのは、警察や児相は、「殺されてから」動いたが、
大津市教育委員会は、「殺されたから、動かない」いや「殺されたから、なかったことにするのに必死」なのだ。
評価システムだかなんだか知らないが、そんな制度の弊害で、自殺者が出たということを自分たちと関係を無くそうとする。必死になって「責任」のかけらが自分に降りかかるのを防ぐだけだ。
いじめを受けた側の経験者として、声を大にして言わせてもらう。
最大の加害者は、担任。校長。学校。教育委員会。そして加害者の親。
大人がよってたかって、「無視」若しく「隠蔽」という名の、最も卑劣な加害行為を行ったのが今回のいじめ事件だ。
金曜日の朝のワイドショーでアンケートの一部が画面に映ったことを契機として、
舞台となった中学校名から、加害者とされる生徒3名とその親の勤務先、顔写真、FB、グリーの書き込み、転校先の学校名、担任教師の名前と写真、
全て特定され、晒されている、恐るべきネット社会。
警察にも教育委員会にも出来ないことを俺たちはやってのけることが出来る。これからいじめられたら、死ぬ前に、2ちゃんに晒せよ。俺たちが追い込んでやるぜ・・・
戦慄と共に、それらを読んで、密かに爽快感と強烈なカタルシスを感じた。心の奥で喝采が聞こえる。
言いたいことは山ほどある。
あの報道が始まってから、私の頭を怒りが支配し続けている。
昨日も、楽しい筈のライブに参加していたのに、頭の片隅を完全に支配していて、心ここにあらず、だった。
この記事を読んで、どうしても我慢がならないことがある。
「いつ、誰が、どこでいじめを目撃したのか明らかにするように」
これは、まだ我慢ができる。被告となった「市や学校、加害者の親」は警察ではないから、被害の実態を明らかにする権限はない。
「いかなる措置を講じれば自殺を回避することができたか」
は?それを聞くのか?
いかなる措置を講じれば死なずに済んだのか?
それが出来るのは、「教育権限ある教育者」であるあなたたちしかいないだろう?
被告どもがいかなる措置も講じなかったから、自殺したのではないのか?
教育者として、当たり前の事をしていれば、死なずに済んだのは自明の理じゃないか。
息子が入ったのは、創立135年の歴史のある古い公立小学校だったが、
10年前のAERAで、「子どもを入学させたくない学校」ワースト10の上位に食い込んでいた、区でも有数の、所謂「荒れた評判の悪い学校」であった。
集団暴行→私が担任に手紙を書く→加害生徒と話し合い、謝罪、もうしません→集団暴行→手紙→謝罪→集団暴行・・・
のループに我慢の限界を超え、しかも回を追う毎に悪質化していくので、
怒りを抑えに抑え、担任と差しで2時間、話し合った時のこと。
「じゃぁ、どうすればいいんでしょうか・・・?」
担任の口からこの言葉が出てきた時、椅子を蹴り机を叩いて席を立ちたい衝動というのはこういうものか、と、生まれて初めて実感した。
教育者がそれを言っちゃおしまいだろう。
というか、さっきから2時間、どうしたらいいか、教育者のあなたに代わって、私が考えに考え抜いて提案してあげてるんじゃないか。何を聞いてたんだ。
一体、今の日本のどこに、教育者がいるというのだ。
どこに行けば、教育者がいるんだ。
今の日本に、「教育者」は不在なのか。
少なくとも、大津市には一人も居ないということだけは、よく分かった。
「いかなる措置を講じれば自殺を回避することができたか」
これを書いたのは被告側の弁護士なんだろうが、杓子定規な答弁も大概にしろと言いたい。
教育者がそれを言うのは、それこそ自殺行為なんだ。
京都新聞 7月7日(土)16時49分配信
大津市で昨年10月、マンションから飛び降り自殺した男子生徒=当時(13)=の遺族が、自殺はいじめが原因として市などに損害賠償を求めた訴訟で、「校内で教師がいじめを見逃していた」との事実認定をめぐり、市側が遺族に対し、いじめの日時や現場を特定するよう求めていたことが7日、分かった。
遺族側は「学校内部で起きたことを両親が特定できるわけがない。本来は市側が調査し、明らかにするべきことではないか」と反発。いじめの実態や自殺との因果関係を立証する責任は原告にあるとする市の姿勢を批判している。
学校が全校生徒に実施したアンケートでは、「一度、先生は注意したが、その後は一緒になって笑っていた」「見て見ぬふりをしていた」など14人の生徒が、教師がいじめを見逃していた可能性を証言している。
遺族はこれらの証言などを基に、訴状で「教師が教室内や廊下で何度もいじめを見ていたが、慢然と見逃してきた」と指摘した。
これに対し市側は5月に大津地裁に提出した答弁書で「いつ、誰が、どこでいじめを目撃したのか明らかにするように」と遺族に要求。さらに「いかなる措置を講じれば自殺を回避することができたか」と逆に説明を求めている。
私はこれまで、行政がその管轄下において、適切な措置を執らなかったが故に、
痛ましい犠牲者が出てしまった事例を、何度もここで糾弾している。
警察が怠慢により動かなかったことにより、殺された。
児童相談所が怠慢により動かなかったことにより、虐待死を防げなかった。
今回、警察よりも児相よりも度し難く腐りきっているのは、警察や児相は、「殺されてから」動いたが、
大津市教育委員会は、「殺されたから、動かない」いや「殺されたから、なかったことにするのに必死」なのだ。
評価システムだかなんだか知らないが、そんな制度の弊害で、自殺者が出たということを自分たちと関係を無くそうとする。必死になって「責任」のかけらが自分に降りかかるのを防ぐだけだ。
いじめを受けた側の経験者として、声を大にして言わせてもらう。
最大の加害者は、担任。校長。学校。教育委員会。そして加害者の親。
大人がよってたかって、「無視」若しく「隠蔽」という名の、最も卑劣な加害行為を行ったのが今回のいじめ事件だ。
金曜日の朝のワイドショーでアンケートの一部が画面に映ったことを契機として、
舞台となった中学校名から、加害者とされる生徒3名とその親の勤務先、顔写真、FB、グリーの書き込み、転校先の学校名、担任教師の名前と写真、
全て特定され、晒されている、恐るべきネット社会。
警察にも教育委員会にも出来ないことを俺たちはやってのけることが出来る。これからいじめられたら、死ぬ前に、2ちゃんに晒せよ。俺たちが追い込んでやるぜ・・・
戦慄と共に、それらを読んで、密かに爽快感と強烈なカタルシスを感じた。心の奥で喝采が聞こえる。
言いたいことは山ほどある。
あの報道が始まってから、私の頭を怒りが支配し続けている。
昨日も、楽しい筈のライブに参加していたのに、頭の片隅を完全に支配していて、心ここにあらず、だった。
この記事を読んで、どうしても我慢がならないことがある。
「いつ、誰が、どこでいじめを目撃したのか明らかにするように」
これは、まだ我慢ができる。被告となった「市や学校、加害者の親」は警察ではないから、被害の実態を明らかにする権限はない。
「いかなる措置を講じれば自殺を回避することができたか」
は?それを聞くのか?
いかなる措置を講じれば死なずに済んだのか?
それが出来るのは、「教育権限ある教育者」であるあなたたちしかいないだろう?
被告どもがいかなる措置も講じなかったから、自殺したのではないのか?
教育者として、当たり前の事をしていれば、死なずに済んだのは自明の理じゃないか。
息子が入ったのは、創立135年の歴史のある古い公立小学校だったが、
10年前のAERAで、「子どもを入学させたくない学校」ワースト10の上位に食い込んでいた、区でも有数の、所謂「荒れた評判の悪い学校」であった。
集団暴行→私が担任に手紙を書く→加害生徒と話し合い、謝罪、もうしません→集団暴行→手紙→謝罪→集団暴行・・・
のループに我慢の限界を超え、しかも回を追う毎に悪質化していくので、
怒りを抑えに抑え、担任と差しで2時間、話し合った時のこと。
「じゃぁ、どうすればいいんでしょうか・・・?」
担任の口からこの言葉が出てきた時、椅子を蹴り机を叩いて席を立ちたい衝動というのはこういうものか、と、生まれて初めて実感した。
教育者がそれを言っちゃおしまいだろう。
というか、さっきから2時間、どうしたらいいか、教育者のあなたに代わって、私が考えに考え抜いて提案してあげてるんじゃないか。何を聞いてたんだ。
一体、今の日本のどこに、教育者がいるというのだ。
どこに行けば、教育者がいるんだ。
今の日本に、「教育者」は不在なのか。
少なくとも、大津市には一人も居ないということだけは、よく分かった。
「いかなる措置を講じれば自殺を回避することができたか」
これを書いたのは被告側の弁護士なんだろうが、杓子定規な答弁も大概にしろと言いたい。
教育者がそれを言うのは、それこそ自殺行為なんだ。