「日柄もん(物)」って言い回しを知らない人、多いでしょうね。

「日にち薬」とかともいうみたい。

鬱とかパニックって結局、不幸な事件(受け入れられない環境に対してのいらだち)に対する悲しみが表に出ているのでは無いかと思う。

少なくとも私にとっては。

愚かにも私は其れを医者に頼って軽くしようとした。

他に話しを聞いて人が居なかったから。

誰でも良いから話を聞いて欲しかったのだ。

悲しみで自分が潰れると思っていた。

相手も憎かった。

その怒りを誰も分ってくれないことも悲しかった。

けれど医者のしたことは私に薬を盛ることだった。

話なんか聞いてはくれなかった。

何年も薬を呑ませ話した言葉は「医療費軽減のため障害申請したら」だった。

そのくせカルテは見せない。

私にわずかに残っていたプライドが申請をためらわせた。

そのうちに副作用と禁断症状がでた。

医者にかかりたての頃は「精神薬なんて妖しい」と本能的に感じていたのにもうその判断力も無かった。

内科の重篤の病に冒されているのに違いないと病院を駆け回った。

その症状も行動も全部精神科の思うつぼである。

私を救ったのはネットだった。

薬を調べるのに私にはこれしかなかった。

ネットでもたたかれる。

「医者が薬を出しているからお前は病気だ」

「病気を受け入れられないならお前は病気だ」

「自覚がない」

「救いがない」

でもかすかな声もある。

病気であるなしに関わらず「精神薬は有害だ」「飲み続けてはいけない」

私は後者を信じた。

禁断症状はすさまじかった。

悲しみは癒えていないのに。

支えてくれる人も居ない。

たまに会う姉すら「医者がくれる薬を全部止めて良いのか」などと言うだけである。

負けるかもしれない、もう薬で脳は大分やられているからこのまま、マンションで死ぬだろうと思っていた。

脳に活を入れるには会話しかないが同居家族もなく近くに友達も居ないから研修に行った。

(東京の断薬クリニックにも通った。医者を信じないと思いながらわらにもすがる思いなのである。キリスト教会にさえ飛び込んだ)

しごとは、長年の服薬で退職してしまったから。

味方がいないから精神科に行き、味方がいないから精神科から逃げるのが難しい。

壮大な回り道である。

語ると止まらなくなる。

要は精神薬とは時間と肉体(主に脳)と金の大変な無駄遣いなのである。

薬から抜け出してアルバイトをし、少しサークルなんかに参加したりして4年経った。

私を精神科に突き落とした原因は未だ解消はしていないがそれに対する悲しさは随分と小さくなった。

代わりに、精神科に対する憎しみが加わったけど。

其れも当初よりはずっと小さくなっている。

たった一人でも自分を大切にして日々生きることとしている。

悲しみには日柄もんである。

精神薬(麻薬)でもう一度自分を痛めないように。