今から35年前の今日、昭和51年6月26日の土曜日 日本武道館でアントニオ猪木とモハメッド・アリによる異種格闘技戦が格闘技世界一決定戦と銘打たれ行われました。


前年のアリによるリップサービスに猪木が呼応、その後の執拗なアピール、交渉が実を結んで実現したこの試合。


天下のプロボクシング世界ヘビー級王者のアリとトッププロレスラーとはいえ当時メジャータイトルを獲得したことがなかった猪木とでは世界的知名度で天と地ほどの差がありましたが…


試合は全世界にクローズド・サーキットで中継され、アリのファイトマネーは当時のレートで18億3千万円!、ロイヤルリングサイドの値段は30万円!と全てが破格の規模の興行となりました。


アリが来日してからルール問題で紛糾していたのは確かで当日も公式なルール説明がなかった為に憶測を呼びましたが、巷でいわれる程の制約はなく、いわゆる究極のガチといえる試合となりました。


アリが当日選んだグローブは4オンス!緊張が高まる中、遂に午前11時50分世紀の一戦のゴングは鳴りました。


アリのパンチを警戒する猪木が終始スライディングのローキックからグランドに寝そべった状態に。ローキックを受け続けたアリの左足も深刻な状態となりましたがよく耐え3分15Rの決闘は判定までもつれ、結果は三者三様のドローに。アリの出したパンチは4発でしたが試合終盤そのうちの軽いジャブで猪木の頬から出血したのをよく憶えています。



翌日の各紙は一斉に世紀の茶番と書きたてましたが、近年関係者の間では現在のように総合格闘技のマニュアルも何もなかったあの時代においては名勝負だと見直されているようです。


両者共試合後に批判され、アリは左足の血栓症で入院、次のケン・ノートンとの防衛戦はその影響で大苦戦となり、代償は小さくありませんでした。


究極の真剣勝負のリングに上がったアリ選手の勇気を35年経った今でも自分は尊敬して止みません。