今からIMFと世界銀行についての英書の和訳に取り掛かりますよっよっ!!
玉子の消費についてアドバイスくださった方々、ありがとうです^^玉子ブーム到来するように、食べてみまっせ^^*
さて本第ですが、豊かさってなんやろうと、思うのですよ。
”食べる物があって、命の危険に脅かされることなく生活していけてるだけで、幸せって思わなきゃ!”
って主張する人のうち、どれだけが、本当にそのありがたさに気付けてるんだろうって。

ほんまにありがたいと思って、眠る瞬間に、今日も一日ありがとうございました。って心の内で思ってる人がどれだけいるのか。
僕は、世界の貧困国や、政治不安のある地域の実情をテレビでは観ても、目の当たりにした経験はしていないので、いささか客観的に傍観してしまっている気が自分の中にあります。
僕の心の感受性が乏しいのか。
どうなんでしょうね。
本心からすると、ありがたいことはわかっているけれども、今は今でなかなか苦しいぜ?そんな今背負っている物をほっぽりだして、生きているだけで幸せ!とは素直に思えねーよ。
といたところでしょうか。

食べる物はあるし、命の危険を感じることなんて、ほとんどないですけど、だからといって“完全な豊かさ”を、心の底から感じられているわけではないです。
人間関係から、将来への不安から、自分のコンプレックスのことから、金銭的な欲求だとかetc...
世界規模で豊かさを測った先の議論と比べるろ、なんともちっぽけな悩み、気に掛けるにも及ばないような不満、、そんな風に僕らの日々の悩みが思えてきそうですよね。
しかし、どこかしっくりこない。食べ物食べれてない人もいるから、現状の生活に不満を抱くなんて、贅沢だ!と、思えるバランス感覚に長けた賢人ならまだしも、僕のように、自分の欲望に塗れて生きている小童にとっては、やはりそういった論理で納得までは辿りつけないのです。

ん~、結論ってあるのかなぁ~。。みなさんどう思います?
視点としては、
・幸せを感じられる水準が異なるから、こういったズレが生じる。
・僕らは、世界の実情を知らない無知な人間だから、ありがたさを感じられていない。
・僕らが日々抱く不満などは、本当は取るに足らないちっぽけなモノなので、気にするべきではない。
こういった視点が議論の中心にくるのでしょうかね?
ん~、僕の意見は、“確かに、技術革新の進歩によって、資本主義の恩恵をモロに受けて便利な生活を送っている我々日本人が、少々ありがたみを感じる心に乏しい面もあるが、それはそういった文化や教育の元で育っているのであるから、食べる物に困っていないのに幼少から食べ物のありがたみを真に理解することは不可能である。よって、これは心の成長にともなって、自分が素直にそう思えるようになった時に、自発的にそのありがたみを噛みしめればいいと思うし、人にそれを強要するべきでないし、強要したところで、効果は観られないでしょう。世界的にみれば、贅沢な悩みに思えるかもしれない人間関係などに、現代人のわずらわしさは、そういった便利な生活の上になりたっている、生理的な悩みというより、それを満たした時に現れる、社会的な悩みによるものであって、決して僕らが、贅沢を言っているわけではない。”
こんな感じの考えです。
要するに、“人間の欲求は無限なんだよ。貧困に苦しむ彼らも、僕らのような生活水準を満たせば、僕らと同じような悩みをいだくようになるし、、そもそもこの世に生を受けた時点で、その出生地域は運命に身を委ねる他、選択肢はなく、不確実性が伴う。今ある環境・生活水準で、それぞれが、一生懸命生きていけば、それでいいんじゃないの?”
って感じです。

あくまで持論なんで、それは違うとか思われる方も、それこそ大半だと思いますが、一人の日本人の意見として、こんな奴もいるんやな~^^程度にお読みいただけたなら、幸いです^^
自分はこんな考えやで~^^とか、そういった方おられましたら、是非 議論がしたいですよ^^リスポンスお待ちしております^^
さて、長くなりましたし、そろそろIMFと世界銀行の英書の和訳に取り掛かりまっせ^~^*
では、また^^



