戦国時代の戰と戦時下の状況  | かのっちのブログ

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エッセイのように、散文のように

 「豊臣兄弟」を楽しく観ている。再放送の「陽炎の辻」も楽しく観ている。基本的に時代劇が好きで、緊迫感のある状況を楽しんでいることになる。その「豊臣兄弟」で思うこと。

 戦国時代には日本全国で戰が繰り返されている。そして、何万人もの人たちが屍となっている。戦に参加している人はもちろんであるが、女こどもも巻き添えになることがあった。そのシーンを見ていると心が痛む。戦に参加している人の中には武将だけではなく、地域の農民の姿もあったと思われる。現に、豊臣兄弟は百姓の生まれで、百姓から侍になるために戦に参加するようになった。こうした百姓から成り上がると考えていた農民も大勢いたことと思う。成り上がれた者もいれば、討死して土に還った者もいるだろう。それが全国に広がっていったことになる。もしかすると、数十万人、それ以上の死者があったと考えられる。百姓として参加した農民が増えることによって、その地域から男たちはいなくなり、田畑を守るのは女こどもになっていくことになる。百姓の参加は自主的なものもあれば、強制的な参加もあり得たことだろう。あれあれ、これは・・・。

 強制的な参加となると、大戦末期の状況と類似してくる。大戦末期になると各地から男たちが借り出された。それは日本各地に戦没者供養塔があることでも理解できる。男たちは戦場へ、残るのは女こどもということになった。状況が似ているような気がする。

 戦国時代は大名のために。特に、領地の農民のことまで気をとめてくれた大名のためなら、積極的に参加したかもしれない。つまりは地域の大名を旗頭にしての加勢ということになる。それとは逆に、嫌々狩り出された農民も多くいたことだろう。対戦末期は日本という国を旗頭にして、男たち、若者たちが戦場へと駆り出された。そして、特攻として飛行機や魚雷に乗り込み、敵艦に突撃するという形になっていく。

 戦国時代の大名たちや、戦時下のトップらにも同じ空気があったのかもしれない。あるいは、同じ空気がつながっていたのかもしれないと考えてしまう。戦国時代の戦のシーンは、そんなことを考えさせてしまう。合掌。