夏の水泳大会 | かのっちのブログ

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エッセイのように、散文のように

 夏の思い出の一つに小学校の水泳大会がある。

私の町には小学校が2校あった。山の方にある小学校と町のほうにある小学校である。私は町の方の小学校に通っていた。中学校はこの2校が合わさって、一つの中学校になっていた。

 夏休みの一つのイベントとして、この2つの小学校による対抗の水泳大会が毎年開催されていた。参加できるのは5、6年生で、選ばれた子どもたちが練習に練習を重ねることになる。夏休みになると、学校のプールが解放されて、毎日のように小学校のプールに通っていた。午前と午後の開放時間が終わると選手たちの練習が始まるという流れになっていた。水泳は得意ではなかったが、一応ちゃんと泳げることで私も選手に選ばれることになった。記憶にあるのは6年生の時に選ばれた時のように思う。

 練習ではとにかく泳がされた。長い距離もそうだが、スピード練習もかなりやっていた。プールに集まった子どもらは、ひたすら泳ぐことになる。男の子も女の子も本当に真っ黒になるまで泳いでいたような気がする。先に言ったように、あまり得意ではなかったので、「今日も練習か・・」と思いながら参加していた。種目はクロールで、4番手か、5番手だったように思う。そして、もちろん飛び込みの練習もあった。遠くに向かって飛ぶように入水していく。この練習でどれだけお腹を打ったことか。

 この練習には6年生の先生が付いていた。メインは太田先生である。私は小学校6年間で担任が一人しかいない。それが太田先生である。つまり、1年生からずっと担任は毎年太田先生であった。これは3クラスあって、結構珍しいことであったように思う。この太田先生がどんどん泳がせるわけである。そして、飛び込み練習。

 通常なら、両足で構えて、腕を前に出し、スタートと同時に腕を前に出すか、一度腕を回してから飛び込むような形であった。ところが、太田先生は「スタート台に両手を添えろ。スタートと同時に両腕で台を押して飛び出せ。」と言うのである。「なんだこりゃ」と思いながら、皆で「カッコ悪う」などと言いながら、ひたすら練習したものである。我が小学校は男女とも、このスタートで大会に臨んだのである。

 相手校のクロールのトップの奴は速かった。この子とは後に中学校で同級生になり、遊んだり騒いだりしていた。今でも同窓会になると飲んでいる。太田先生は私が入学した年に赴任して、卒業とともに転任していったようだ。つまり、6年間私たちを見つめてくれたことになる。小学校の卒業アルバムには、直筆のメッセージが残っている。あのスタートは今は競泳の主流になっている。太田先生は先を見据えていたのだろうか。真っ黒に日焼けした小学校の頃の思い出である。