死んだら終わりではないのか? | 日常生活で身につける感情体のコントロール!元鉄骨鳶のよしゆき

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5週間に渡って紹介してきたイアン博士の『前世を記憶する子供たち』の事例

 

共通点が多くあったのが印象的です

 

本には他の事例もありますが、今回の紹介で最後になります

 

 

 

 



 

 



 

 

 

サムエルは1976年4月15日にフィンランドのヘルシンキで生まれた。

 

1歳から2歳にかけてサムエルはペルティという母の弟の生涯を記憶していることをうかがわせる発言を行なったうえ、何人かの人物を見分けた。

 

その後サムエルは自分の家族から見ると変わっているが、ペルティの行動とは符合する行動をいくつか示している。

 

私は本例の調査を、1978年と81年にヘルシンキで行なった。

 

その時の情報提供者は、サムエルの母親とペルティの母親である祖母のふたりであった。

 

 

 

 


 

 



 

 

 

ペルティは1957年6月8日、やはりヘルシンキで生まれ、1975年7月10日、重症の糖尿病のため市内で死亡している。

 

18歳になってまもなくのことであった。

 

 




死亡するまでの数か月間は、糖尿病放置患者の主症状のひとつである水を大量に飲むという行動を示したが、昏睡状態に陥り死亡するまで、ペルティがそこまで重病だとは、その当時誰にもわからなかった。

 

ペルティの母親と姉のマリヤ(と同時にサムエルの母親)のふたりは、ペルティの死を深く悲しんだ。

 

 

 


 

 

 

 


 

マリヤは、サムエルを妊娠して10週目にペルティの夢を見た。

 

 

その頃のマリヤは、中絶を考えていたのであるが、夢の中でペルティが『子供はそのままにしといて』と言うのを聞いた。

 

 






サムエルが、名前を聞かれて『ペルティ』だと言ったのは、わずか1歳半頃のことであった。

 

 

おまえの名前はサムエルだと教えようとしても従おうとはしなかった。

 

ぼくはペルティだと言ってきかなかったのである。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

前世の記憶らしきものについてサムエルが直接語ったのはわずかであり、しかもほどんどはペルティと親しかった(多くは写真に写っている)人たちや、ペルティがよく知っていた物品を見分けた時に発せられたものである。

 

 

10歳以前に撮影されたペルティの写真を見ると、サムエルは、それに刺激を受けていろいろ話すことも少なくなかったようであるが、それ以降の写真ではそういうことはなかった。

 





 

ある写真を見た瞬間、サムエルは、犬に噛まれたのを覚えていると言った。

 

ペルティは3歳の時に犬に足を噛まれたことがあったが、サムエルは犬に噛まれたこともなければ、ペルティが噛まれた話を聞いたこともなかった。

 

またその写真にはペルティが犬に噛まれたことが分かるような手掛かりは何一つ写っていなかった。

 

 


 

 

 

 

 

 

またある時サムエルは、歩行器を使って歩いているペルティの幼児期の写真に目を止めた。

 

サムエルの話では、両足にギブスをはめて入院していた時の写真だという。

 





本例をヘルシンキで調査していた時、私はサムエルがそういう発言をするきっかけとなったその写真を見せてもらった。

 

ところがその写真にはペルティが歩行器を使っている様子が写っているため両足にけがをしていることは推測できるかもしれないが、両足にギブスが巻かれているのがわかる手掛かりになりそうなものは写っていなかった。

 

ギブスは撮影直前に取り外されていたからである。

 

ペルティは、4歳ごろ事故で両足を骨折した。

 

サムエルがその話をするようになったのは、やはり3、4歳の頃であった。

 



 

 

 

 

 

 

ペルティの写真を見て、これは自分だとサムエルは主張したが、同じことは今述べた場面以外でも起こっている。

 

 

一家は時おり開いて眺めるアルバムに同様の写真を何枚か貼っているが、サムエルはペルティの写真を見るたびに『これは自分だ』と言っていたのである。

 





 

サムエルはまた、ギターやコールテンの上着、古ぼけた時計など、ペルティの遺品をいくつか見分けている。

 

 

針が二本とも飛んでしまっていたので、その時計は、がらくたの詰まった引き出しに放り込まれていたのであるが、その時計を見つけたときサムエルは、それに飛びついて、これは僕のだと言い、自分の手元に置くのだと言い張った。

 

サムエルは、その時計を枕の下に入れて寝ることもあったが、たいていは、ベットの下にある引き出しにしまっていた。

 



 

 



 

 

サムエルは、ペルティの死については一言も言わなかった。

 

 


しかし、ペルティの死後に起こった出来事の記憶があることをうかがわせる発言は二回している。

 



本人の話では、棺桶がたくさん並んでいるところへ行ったことがあり、そのうちのいくつかは蓋が開いていたという。

(サムエルは、霊安室には行ったことがなかったが、ペルティの遺体は霊安室に安置されている)

 



サムエルはまた、ペルティの死後、母親がどれほど涙を流したかについても語ったが、この点については誰かから聞かされたかもしれないし、そう推定しただけかもしれない。

 



ペルティが埋葬されている墓地に連れていかた時サムエルは、ペルティの墓を見て、『ぼくの墓だ』と言った。

 

 

 


 

 

 

 

 

サムエルの母親と祖母は、ペルティの行動と符合するサムエルの変わった行動をいくつか指摘している。

 



幼少期にペルティは、浴槽に浸かって水を飲んだことがあった。

 

その時ペルティは恐怖心を露わにしたが、それをキッカケで水恐怖症が起こることはなかった。

 


その後、15,6歳になった頃、ペルティは、薄氷を踏み割って埠頭に転落し、さらに海中に落ちた。

 

しかし危ういところで溺死は免れた。

 



その事故の後、サムエルは水に対する恐怖心を発現させ、泳ごうとはしなくなった。

 

水に入ることに対して明らかな恐怖心を示したのである。

 

特に入浴に抵抗したので、祖母は、あの子をお風呂に入れようとする時の大騒動といったら『悪夢』ですと言った。

 

 

 




サムエルが初めて言葉を発するようになった時、ペンティとマリアというように両親を名前で呼び捨てにした。

 

また祖母を『お母ちゃん』とも呼んだ。

 

母であるマリヤに向かって『ぼくの母さんではない』と言った。

 

サムエルは祖母に対して強い愛着を示し、2歳ごろには祖母の胸から母乳を飲もうとした。

 

しかしサムエルは、5歳ごろまでには祖母を『お母ちゃん』と呼ばなくなった。

 

 

 

 

 


 

 

 

ペルティには、クリスマス当日に集まった人たちが一堂に会している部屋を歩き回り、ひとりひとりキスをするという微笑ましい習慣があった。

 


家族の他の者には見られない習慣だったらしく、1978年のクリスマスに全員が集合した時、わずか2歳半のサムエルがペルティと同じく、その部屋を歩き回り、その場にいる人たちに一人ずつキスをするのを見て一同は仰天した。

 






またサムエルは、ペンティによく似たポーズもふたつ見せた。

 

ふたりとも、立っている時には腰に片手を当て片方の足を前に出す癖があったし、時々両手を腰に当てて歩く癖もあった。

 

しかし家族の中には同じような癖のある者はなかった。

 

 


 

 


 


 

博士の研究を客観的な視点のもと、受け入れるとすれば、死んだら終わりではない可能性が大きいとの判断になるかと思います

 

 

 

アリスベイリーの秘教の論文によると、私たちは数え切れない程の転生を繰り返し、存在しているようです

 

 

 

マンモスを追いかけていたギャートルズの石器時代が200万年前です

 

1〜7年周期で、この辺の時代から生まれ変わりを繰り返しているとしたら・・・

 

途方もない数の人生を経験してきた私たちですよね

 


 

 

 

今、転生してきている魂

類稀なる転換期である、今現在の世界にいる私たちは恵まれていると言います

 

 

個々が携帯電話を持ち、インターネットを通じて全世界に繋がる新しい時代

 


 

またとない成長のチャンスである時期に私たちは存在しているようです

 

 

 

このチャンスをモノにするのか、逃がすのか

今なにをすべきで何をしないべきか

 


 

真価が問われるところです

 

 












 



今週の瞑想会


開催するか中止するか考え中です