シンガポールからの一時帰国で、ほんの少し「安心」を求めたかっただけ


そんなシンガポールでの生活の中、初めて迎えた11月。

慣れない環境に苦戦していた私は、少しでもホッとしたくて、年末年始の時期に一時帰国を計画していました。


横浜の友達に会いに行く1週間と、母の家に滞在する1週間ほど。

年末年始を挟んだその日程で、帰国を考えていました。


毎年、年始には妹家族が母の家に来ていることは知っていました。

でも――「今年だけは、私と子どもたちでお母さんのところで

ゆっくり過ごさせてほしい」

そう思って、私は母にお願いしました。

「妹たちの挨拶を少し遅らせてもらえないかな」と。



妹とは、私が彼女の結婚式に招かれなかったことをきっかけに、距離を置くようになりました。

それに、妹には、私の子どもよりも年下の子が5人います。

私と子どもたち3人が一人暮らしの母の家に滞在する中、さらに7人家族の妹家族が加わると、どうしても落ち着かない雰囲気になるのは目に見えていました。



けれど、その「今年だけのお願い」は届きませんでした。


日程の調整をお願いすると、母から返ってきたのは

**「じゃあ旧正月に帰ってくれば?」**という言葉でした。


以前住んでいた横浜の学校では旧正月の時期に休みがありましたが、

シンガポールの学校では旧正月は長期休みではありません。

日本の公立の学校でも、その時期には休みはありませんが


それを伝えても、母の反応は変わりませんでした。


その後も何度か、子どもたちの学校事情や受験のタイミングを伝えながら日程を相談してみましたが、

まるで他人事のような、どこか温度のない返事に、私はそのたびに小さく傷ついていきました。



結局

私は年始に定例通りの妹家族が来ることは受け入れ、滞在します。


それだけでなく、その年は母と妹家族とが「スキーに行く」と言って、私たちの滞在が終わる前日に母は新潟へ出かけていきました。


その翌日、私は母のいない母の家を掃除して整えてから空港へ向かいました。


ほんの少しだけでもタイミングをずらしてくれたら――。

せめて母から、その配慮があってもよかったのではないか。

そう思います。



あんな教育環境で育った私が、海外に出ること自体が“背伸び”に見えるのかもしれない。

きっと母には、そう映っているのだろうな……と感じる瞬間があります。


でも私は、ただそのときその場所で、

自分と家族にとってベストだと思える選択を、懸命にしてきただけ。

見栄でも、無理をしているわけでもない。

そのことが、どうしても母には届かないのかもしれません。



私が甘えたがりで、わがままなのでしょうか?

そう思いながらも、

「ほんの少しでも、私の気持ちに寄り添ってくれてもよかったのではないか」

という寂しさが、どうしても消えずに残ります。


ずっと、母に振り向いてもらえない。

本当は、ただ“ほっとできる場所”が欲しかっただけなのに――。




読んでいただきありがとうございます。

明るい内容ではありませんが、

前向きに回復していくための記録として綴っています。

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私の育った環境について書いています