帰国準備が呼び起こした「違和感」の記憶

今年の夏休みに合わせ、一時帰国の計画を立て始めました。

孫を会わせに行きたい、そして、母と少しでも「親子らしい時間」を持ちたい。そんな思いがあって、今年も母の家に泊まれないかと連絡を取ったのです。


昨年の帰国で私は、

アメリカから関西空港へ →夫の実家への帰省 →

新幹線で移動し以前住んでいた横浜エリアに1週間半ホテル泊 →

電車移動して東京の母の家に5日ほど滞在したあと →

さらに新潟の母の田舎の家へ向かうために

私はひとり隣駅まで歩いてレンタカーを借りに行き

持病の痛みを抱えながら長距離運転――。

新潟での観光地まで道のりや、粗大ゴミ置き場までゴミを捨てに行く時までも、運転できるのは私ひとり。


新潟から東京の母の家で一泊したら、母は翌日から仕事

私はレンタカーを隣の駅まで返しにいき

飛行機に乗る準備をしてアメリカに長距離飛行機で戻る。


というようなものでした。

東京の近くに住んでいて、車も自分で所有している状態だったら別に良いのです。



その都度荷物をまとめ直し、体力が回復する前に

大きな荷物と共に移動。

線維筋痛症抱えながらこの移動には体調的に限界を感じたので、

「今年は田舎へ行くのは悩んでる」と言ったところに

返ってきたのは、こんな言葉でした。


• 狭い家だから長期はキツイ。○日〜○日は一人でいたい

• マンションのゲストルームは取れなかったの? ホテルは?

夕飯を作るのはしんどいからあなたが作ってくれない?

  でも自転車は置いて行けないよ

• 泊まりに来てもいいけど、途中で荷物を置いていって外に泊まり、また戻る感じにできない?

・新潟の家には草刈りにも行きたいから、予定を早く決めて


私の体調や子どもの負担を気遣う言葉は一つもありませんでした。


海外からの帰省、

2週間ほどの滞在は長期でしょうか?


マンションのゲストルームだって、長期泊まれていたのは

住んでいた頃の友人数人が協力してくれていたからなのに

それすらも当然だと思っているかのようにも受け取れる母の発言。


私は顎関節症と線維筋痛症の全身の痛みを抱えて生活をしています。

この体調不良は、ほかでもない、私が育った家庭環境のストレスが根にあります。母なら、私の状態に心を寄せる言葉がほしかった。

帰省の時くらいはゆっくりして」と言って欲しかった。



ー歓迎のない「帰省」ー


母はまだ60代で、仕事も続けています。

他人のイベントは積極的に企画するのに、私の滞在には“疲れる”と言う。

ゲストルームやホテルを当然と勧め、経済的に余裕があると思い込む


「娘の夏期講習代に大変なんだ」

とこぼしたときも、母は

「お金があっていいわね」とだけ返しました。

私は塾なし・公立校で育ったからこそ、今の教育費の重さを分かち合いたかったのに。



ー「親子関係を埋めたい」――満たされないまま時だけが過ぎるー

もし母が高齢で動けない、介護が必要――そんな状況なら、

私はいくらでも受け入れる覚悟があります。


私は過度なわがままを言いたいのではありません。

ただ、子どもの頃に満たされなかった“甘えの時間”を、少し埋めたいだけ。


しかし私も40代を過ぎ、癒されない“内なる子ども”と

実際の年齢との差が広がるほど、そのしんどさは増していきます。


「お母さんだから、きっと分かってくれるはず」

私はずっとそう期待していました。


けれど今になって気づくのです。

母は「柔らかく包むように見せかけた、巧妙なコントロール」をする人で、私の気持ちに本当の意味で共感する人ではなかったと。


妹の結婚式の事で、私が気持ちをぶつけた時の母の対応もそうだったのです。

帰省を前にしてようやく、私はその現実を受け入れる覚悟を持ちました。


なぜ母は、私を案ずる言葉をくれないのだろう。

そう考えるたび、かつて家族のために費やした努力がむなしく思え

深い寂しさに覆われてしまいます。



ー覚悟と決断――今年はホテル滞在へー


今年はすべてホテルに泊まると決めました。

痛むのはお財布だけでなく、心の方が大きいのかもしれません。

「帰省」と呼べる“帰る場所”が、私にはもうないのかもしれない。

それでも―ー

「戻ってきたら会おう! いつでも遊びに来て!

と声をかけてくれる友人や親戚がいることが、何よりの救いです。


母がこのような姿勢なら、

「親だから会いに行かなければいけない」

「親だから会いたいと思わなければいけない」

そんな義務感から、私は自由になっていいのだと思いました。


同世代の友人たちが「親世代を見送った」という話を聞くたびに、

「あと何回、母に会えるだろうか」と考える年齢になったけれど

今は“回数”よりも“こころの安全”を選ぶ――


これが、私が今までのことを綴り始めた理由です。

子どもとして満たされなかった時間を言葉にし、

現実を受け入れる覚悟を、この文章に刻んでおきたいのです。


読んでいただきありがとうございます。

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