コロナ禍で、叔父に癌が見つかりました。
発覚からわずか半年ほどで、あっという間に旅立ってしまいました。
私には年上のきょうだい、いとこもいなかったので
幼い頃、母の実家に遊びに行くと、叔父がよく遊んでくれました。
まるで兄のようで、嬉しかったのを覚えています。
まだ亡くなるには早すぎる年齢でした。
私の結婚式には出席してくれた叔父ですが、
私の中学時代に、母が家を飛び出してから、両家の関係は悪くなり、私もあまり会う機会がありませんでした。
もっと会えていたら、もっと話せていたら――
そんな思いが、今も胸の奥に残っています。
訃報は、母からの連絡でした。
当時はまだコロナ禍のまっただ中で、海外からの帰国者には数日の自宅待機が求められていた時期。
「今から帰れば、待機させてもらえば、お葬式に間に合うかもしれない」
そう思って、すぐ母に相談しました。
けれど、母の返事はあまりにもあっさりとしたものでした。
「申し訳ないけど、あなたの相手をしている暇はないの」
「供花をお願いしたいんだけど、いいかしら?」
もちろん、供花を送ることに迷いはありませんでした。
私は姪として、小さい頃の感謝と、もっと話したかったという気持ちを込めて、花を手向けたいと思いました。
でも――「あなたの相手をしている暇はないの」
時期的な事を考えると話した結果、行動としては同じ、
行かない選択肢をしたかもしれません。
私はこの一言が、心に引っかかって離れませんでした。
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その後、母から葬儀の写真が送られてきて、ようやく叔父が本当に旅立ってしまったのだと実感しました。
寂しさと、なんとも言えない置いていかれたような気持ちだけが残りました。
そして数年後、夏の一時帰国中のこと。
母と何気ない会話をしている中で、衝撃を受ける一言がありました。
「そういえば、叔父の一周忌に弟も行った時にね・・・」
私は、その一周忌のことをまったく知らされていませんでした。
またしても「私だけが呼ばれていない」。
思えば、長女を出産した年、一時帰国の1ヶ月前に祖父が亡くなったときもそうでした。
「供花と香典をお願いできる?」という連絡だけ。
葬儀や一周忌には、やはり声をかけられませんでした。
海外にいると、「どうせ来られないだろう」と決めつけられてしまうのでしょうか。
けれど本来、家族の葬儀や一周忌、結婚式のような大切な場面では、
常識的に考えても「参列、参加の意思があるかどうか」を一度は確認するのが自然ではないかと思うのです。
「物理的に来られるか」と「気持ちとして参列したいか」は別の話です。
確認すらされずに、「香典や供花だけお願い」という形になると、
まるで“気持ち”ではなく、“形式”のためだけに必要とされているような、空虚な気持ちになります。
そうしたことが重なり、私は「家族の大切な場にだけ、なぜか私だけが呼ばれない」という違和感を繰り返し味わってきました。
その事実よりも、「確認すらされない」というやりとりの断絶に、より深い寂しさが残っています。
読んでいただきありがとうございます。
明るい内容ではありませんが、
前向きに回復していくための記録として綴っています。
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