アメリカでの滞在も数年が経ち、夫には帰国の辞令が出ました。


私はというと、アメリカで始まった結婚生活、子どもの誕生、

数年かけて少しずつ築いてきた安心感があり、心は離れがたく感じていました。


それに、顎関節症や激しい全身の痛みもまだ治っておらず、治療は道半ば。

本当は、もう少しここで治療に集中したかった。

私は自分の身体を取り戻すために、何十万、何百万円という高額な治療費を払ってきました。

体を治しきれなかったこと、治療を途中で手放さなければならなかったことに、私は悔しさを感じていました。


当時はカウンセリングにも通い続けていました。

アメリカでは虐待に対しての意識が非常に高く、

日本では見過ごされがちな「子どもだけでの留守番」や「車中での短時間待機」でさえ、

近隣の人が通報し、警察や児童保護機関が介入することもあります。


もちろん大変に感じる面もありました。

けれど、その厳しさの裏には「子どもを守る」という明確な価値観があり、

私の中にいる“かつての子どもだった自分”が、どこか安心しているのを感じていました。


子どもを守るための指針が、はっきりと存在するこの国で、

私は、自分の子どもを育てていきたいと心から願っていたのです。


——だからこそ思いました。

このままここで子育てを続けられたら、どんなに安心だろう。


でも、帰国の日は刻一刻と近づいてきます。

夫は仕事の都合で、私たちより一足先に日本へ帰国しました。


そのときのことを、今でもはっきり覚えています。

娘は、これから大きく変わろうとする生活への不安、

これまでの日常が終わってしまう喪失感に押しつぶされ、

泣きながら私にしがみついていました。


私は、その子どもの不安を受け止めながらも、

自分の心にも、重たい不安がひたひたと押し寄せてくるのを感じていました。


これから向かうのは、日本。

父から暴力を受け、助けを求めたとき、

警察も、病院の看護師も、高校の先生も、誰ひとり私を守ってはくれなかった場所です。


そのトラウマは消えていない。


子どもを守らない社会に、

私はこれから、自分の子を連れて戻らなければならない。


治療も手放し、身体の痛みも抱えたまま、新たな土地で、

私は再び、子どもを守るための戦いを始めなければいけないのだと、

静かに覚悟するしかありませんでした。


それでも私は、

まだ痛みが残る体をなんとか調整しながら、

娘と息子の手を引いて、引っ越しの準備を進めていったのです。


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