解剖学者の養老孟司さんが、どの本で言ってたのか忘れたんですけど、
「デジタルを見る時間と自然物自然を見る時間を半分ずつにした方がいいんじゃないか」みたいなことが本に書かれいて、ナゼか今でもよく覚えてる。
どうしても、今の時代スマホのディスプレイ画面を見てる時間ってすごく長かったりする。
それはSNSの、TikTokやInstagramだったり、動画のYouTubeだったり、Netflixだったり。
もう僕たちの目のほとんどの時間はディスプレイ画面を見てる時間になっちゃってたりする。
これっておかしいんじゃないっていう事ですね。
ぼくは庭師なんですが、自然を見てる時間はわりかし長い方だと思うんです。
だけど、
みんな休憩中とかになったりすると、スマホのディスプレイ画面を見てる時間とか、ぼくたち職人の世界でも当たり前になっている。
なんて言うか感覚的なんですけど、
ちょっと外を見ると、
風の流れだったり、空の雲の動きだったり、空の青さだったり昼の太陽の明るさだったりと、
どう考えてもスマホの中より、スマホの外の方が情報量が多かったりするんですけどね。
面白いモノはスマホの中にあると思っていて、素晴らしく美しいモノっていうのはスマホの外にあるんじゃないかなと仮説を立てて生きています。
ディスプレイ画面内でも、素晴らしい映画とか人生を変えるような作品だったりアニメだったりとかっていうのも、やっぱりあるのは分かります。
ディスプレイ画面の中、スマホの中だったり、テレビの中にも素晴らしいモノはあるにはある。
でも改めて考えてみると、たとえば花火の壮大さと火薬の臭いはディスプレイ画面では分からない。
動物園に行った時の動物の迫力だったり、動物たちの臭いは分からない。
やっぱり、
実体験として自分の目で見たモノ感じたモノと、ディスプレイ画面の中で見たモノってやっぱ違う。
極端な例なんですけど▼
ディスプレイ画面の中で見るジョニーデップとかブラッドピットと、目の前にブラッドピットやジョニーデップがいる時ってやっぱ心持ち違うじゃないですかw
今の時代だからこそ、実際に物を見るとかっていう。圧倒的な迫力ら空気や壮大さみたいなものって、ものすごく大事な時代に入ってるんじゃないかなと感じています。
というわけで、
今日は「スマホの中は面白いモノがある、スマホの外には素晴らしいモノがある」というお話でした。
それではまた!