家庭教師は、大学時代、一番時給の良いアルバイトだった。

大学に入学して体育会バドミントン部に入ったが、4回生の先輩からの引継ぎで中学3年生の男子を教えることになった。新入部員で私だけが下宿生だったので、先輩が配慮してくれた。週3回各2時間で食事付だった。下宿生活だったので食事付はありがたかった。食事は生徒と一緒に食べたが、料理がおいしく毎回楽しみだった。その子に受験生という緊張感は感じられなかった。個人的に仲良くなって、一緒に海水浴や釣りに行った。教えている途中で親の目を盗んでブランデーを持ってきてくれたりした。クラブの試合で忙しい時期はよくスケジュール変更したので、親からは不誠実なのでやめてもらうという話も出たようだが、教え子がこの先生がよいと言ってくれて継続となり、高3まで教えた。この子は結局推薦で私立大学に入った。この子は大学に入ってからも、私の家に何度か遊びにやってきたりした。年賀状のやり取りもしていたが、阪神大震災の頃からのやり取りがなくなった。

大学での募集で3回生のときに中2の女子も教えた。学区の県立ナンバー2の高校を志望していた。私は関東出身で兵庫方式(入試の問題は差がつきにくく、実質内申点で決まる)を知らなかったので定期試験の対策はせずに実力をつけるための勉強法を教えることにしていた。中3まで教えたが、残念ながら志望校には入れず、私学に入学した。中間・期末の試験対策をしてやればよかった、可哀そうなことをしたといまだに後悔している。私が大学を卒業する際は、両親が家に招いてくれてBBQをごちそうになった。卒業後も年賀状のやり取りをしていたが、私の子供が二人とも国立大に入ったことを伝えたあたりから年賀状が途絶えた。

家庭教師派遣会の紹介で灘中志望の小6の男子を教えたこともあった。途中で家庭教師派遣会との契約を打ち切って100%月謝が入るようにしてくれた。算数だけを教えた。ほかの科目はよくできるのに算数が弱点だった。中学入試の算数は、場合分けして手作業で考えていくといった問題が多い。その解く考え方を教えたつもりだったが、残念ながら灘中は不合格で、四国の全寮制の進学校に行った。

中1の女子も1年間教えた。この子は私学の女子中学に通っていて、分からないところを教える形で進めた。お別れの時期に、お友達と3人で遊園地へ連れていくことにして、その子はとても楽しみにしていたが、、当日お友達が来れなくなって、二人だけで行くことになり、悲しいくらい暗い形で帰ってきた。両親から家に一緒に帰ってくるように言われていたようだが、泣きべそをかいていて気まずいので、一人で帰した。以来、連絡は取っていない。

大学時代は、勉強はそっちのけでクラブ活動に専念していたが、そんな中で、家庭教師は思い出として心に残っている。