「悲しみの忘れ方」Documentary of 乃木坂46
乃木坂のドキュメンタリーの映画を見てきた。AKBのドキュメンタリーとはまった異質なものだった。
AKBがグループを中心とした起伏のあるハリウッド志向のドキュメンタリーに対して、乃木坂はあくまでも個々に焦点を当て、淡々と物語が進行していくヨローピアンスタイルとでもいおうか、どこか影のあるフランス映画みたいだった。
画になる乃木坂メンバー
撮り方もあるのだろうが、乃木坂のメンバーはとにかく、画になるのだ。乃木坂46の活動の裏側をAKBのドキュメントと同じ手法で撮っているんだけど、AKBのような素人ぽさがあまり垣間見えない。
乃木坂のメンバーは素の表情もどこか演技している感じがする(これって、凄いタレント性なんだよな)。
AKBの裏側はすごく残酷で泥臭くみえるけど、どかか高校球児のような体育会系的清々しさがある。しかし、乃木坂の裏側は同じように残酷なんだけど、泥臭くないんだけど、どこか文化系的な暗さがあるんだよね。
その暗さが個々のメンバーの美しさと切なさを引き立てる。ほんと、出演者全員が画になるんだよね。良質な美少女達の青春映画(フィクション)を見ている気になる。
メインメンバー中心の構成
改めて感じたことはAKBと乃木坂ではそこに集うメンバーたちの「色」がまったく違うんだと感じた。
AKBはグループの中の1メンバー、もしくは何々チームの1員というグループ意識が強い。しかし、乃木坂はあくまでも個人といて乃木坂に属しているという独立心が強い。
それゆえ、映画にメインで登場するのは選抜常連の限られたメンバーだけにスポットが当たる。アンダーメンバーの登場どころか画面に映るのは皆無と言っていいだろう。
生駒、白石、西野、橋本、生田の構成で8割、松村、秋元、で1.5割、0.5割がその他大勢という感じ。
AKBとは違ってグループがどうのこうのって感じじゃないので、どうしてもメインメンバーに光が当たる。
正直、上記の7人以外はその他大勢の扱いだ。
生駒=乃木坂46
やはりこの映画で突出して輝ているのが生駒里奈だ。秋田の純朴な引っ込み思案の少女に無理難題を与え、乃木坂46を背負そうとしてくる大人たちが残酷だ。
自分のことで精いっぱいなのに、ここが自分の場所と覚悟し、何事も一人で背負う生駒ちゃん。ただ、AKBと違うのは、その生駒の荷物を一緒に覚悟を持って背負ってあげようとするメンバーが見当たらない。
乃木坂、特有の独立性が邪魔をするのか、無理やりにでも背中の荷物を引っぺがして担いでやる奴がいない。あくまでも、生駒ちゃんに寄り添い、一緒に歩こうとするだけなんだ。
6枚目のシングルでファーストからずっとセンターを張ってきた生駒ちゃんから西野七瀬に変わった時に生駒ちゃんが一人、スタジオを飛び出し。「いやー背中が軽くなった~ははは」と笑いながら外で一人でずっと笑いながらクルクルと回っている姿は...身の毛がよだつ。
こんな怖いシーンを初めて見た。孤独という恐怖を知った。
夕暮れの駐車場で衣装の制服を着たまま、一人ではしゃいでいる。周りには誰も駆け寄らない。
乃木坂の看板をずっと背負わされてきたのに、急にセンターを外す。
誰も生駒ちゃん労いの言葉をかけぬ。ただ、遠くから眺めているだけ。
乃木坂で何かが起こるとずっと生駒ちゃんが前に立つ。決して逃げ出さない。
松村がスキャンダルを起こした時も、「まっつんを守る」と言ったのは彼女一人だけだった。
なんだろう、AKBを観過ぎてきたから変なグループ魂に感化され過ぎたのかな?冷たすぎるぜ乃木坂よ。
現実はこんなものかな?
最後の救い
ただ、最後の隙のシーンは、個々のメンバーのインタビューでみんな、「私がこうやって外で色々と仕事をして目立っていけば必ず乃木坂46の宣伝になるはず」と口々に言っていた。
わかりやすく。ベッタリとくっついているわけじゃないけど、個々のレベルと知名度を上げればそれは乃木坂46の向上につながると信じている。
このことが乃木坂46というグループにとって最後の救いなのかもしれない。