グングン来ている、我らが西野未姫ちゃん
劇場では相変わらず、ぶっ壊れたロボットのように暴れまくっているし、レス(ファンに目線を向ける)もガンガン飛ばしている。
大会場コンサートでのポジションも毎回、良くなり、出番も多くなっている。デッカイ箱(アリーナ、ドーム、競技場等)だと、劇場と違い、隣のメンバーにぶつかる心配がないので、さらにハチャメチャに踊りまくっている。
※デッカイ箱で手足がちぎれんばかりに暴れまくっているメンバーがいるなと思ったら、それはほぼ未姫ちゃんだと思っていい。
さらにAKBINGOやせかchu(世界を夢中にさせます宣言)、ネ申TV等のAKB関連の番組では、その無邪気なしぐさと、天性のビビり症に神がかり的な笑いのツボを持っており、バラエティにはなくてはならない存在となっている。
※AKB関連以外の番組に選抜メンバーとして抜擢されるのも近いはず(たた、中3なので労働基準の21:00以降に仕事ができないのが痛い)。
昨年の1月にケンゴと研究生公演(まだ、三銃士と呼ばれてなかった)で初めて、未姫ちゃんを間近にみてからファンになり、まさか、これほど推され、次世代メンバーとして活躍している日が来るとは思わなかった。
そうなのだ。ここ最近、我らが未姫ちゃんが結果を残しすぎている。順調に伸びてきている。
アンチとは不の熱量を持ったファンである
推しファンとしては、嬉しいことこの上なのだが(我々の目的は未姫ちゃんをAKBのセンターにすることだからね)ただ心配なのが、他人を貶めるのことに生きがいを感じる「現代社会のダーク・マター(暗黒面)」アンチの存在だ。
ここから、アンチという存在について語ろう...
真のセンターになるためにはこのダーク・マターであるアンチもひきつけなければならないのだ。
卒業した大島優子が最後まで、前田敦子に完勝しきれなかったのはこのアンチの絶対数が少なかったからだ。
芸能界、いや競争社会において、「好き」の反対は「嫌い」ではない。「好き」の反対は「無視」である。つまり、その存在自体を認めないというより、全く興味を示さないことだ。
「嫌い」であるということは既に興味を示していることなので、一歩、外からみれば「ファンである」ということにカテゴライズされるのである。
つまり、アンチとなった瞬間にその世界では「ファン」でもあるのだ。
そう、大島優子に10万人のファン(優子好き)がいたとしたら、アンチは1万人程度(いやもっと少ないかも)だったであろう。反面、前田敦子には7万人のファン(あっちゃん好き)がいたとしたら、アンチも7万人くらいいたかもしれない。
あっちゃんには絶対数として興味を示すファン(アンチを含む)が大島優子のそれを軽く凌駕してしまうのだ。
だから、AKB48史上最高のタレント(今後も優子を超える才能はなかなか現れまい)である優子の最後まで越えられない壁が、あっちゃんであったのだ。
まぁ待てアンチ諸君よ
真のセンターになるには、大島優子のように、アンチさえもねじ伏せ、暗黒面から引き揚げ、ファンにするやり方と、あっちゃんのようにアンチを暗黒面のまま、自分の世界に引き込むやり方がある。
どちらが正しいとはいえないが、AKBのように特別な才能を持たずにただ、がむしゃらに愚直に活動していることを応援に変えるにはあっちゃんのようにアンチをそのまま自身の世界に引き込むやり方がいいのだろう。
なんだかいって、優子は器用貧乏なところがあったが、才能の塊だった(さらに、誰よりも努力する本当の天才だった)。
話が長くなったが、センターになるにはアンチも一緒に抱えていかなければならいない。
頭角を現すと、自然とアンチが湧きだし、あーだこーだ言いだす。
だが、アンチを排除しちゃならない。こいつらのアンチ活動を逆手にとれば、強力な宣伝広告媒体となるからだ。
メキメキ頭角を現し始めた未姫ちゃんにアンチが地面に落ちた角砂糖にたかる蟻のように、群がり始めるのも時間の問題だろう。
ただ、一つ、言わせてくれ、まだ、未姫ちゃんは中3で出演できる番組が限られている。来年になれば未姫ちゃんも高校生になり、もっと出演番組も増え、活躍の場も増える。
そうすれば、アンチ活動のしがいも増えるはずだ。まだまだ、泳がせておいてくれ。
いま、しばし、あまり、酷いアンチ活動は待ってくれ。頼む。この娘はきっとAKBを背負う存在になるのだから・