誰かのために | AKB48 LIFE

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アイドルグループなしの人生なんて...退屈である。

三年前のあの日
もう3年なのか?まだ3年なのか?あの震災から3年が経つ。同じ日本とはいえ、被災された場所から離れたところに住んでいると、自分のことに追われ忘れがちになっていく。

しかし、同じ日本で電車や車で数時間のところでは、故郷へ帰れず非難生活を過ごしている方が大勢いるし、ままならぬ復興に苦労してる人が大勢いる。

募金やボランティアにしばし携わせていただくが、被災地の人たちがこれが毎日のこととなると胸が苦しくなりもっと何か?手助けが出来ればと思う。

だが自分にとってはその場限りでの微々たる手助けなので、また日常に戻ると忘れてしまいそうになり自分が情けななくなる。

それでも、あの「ありがとうございます」という東北の人たちの朴訥で純粋な人柄に満ちた笑顔をいつも思い出す。

続けていくの大切さと難しさ
出来ることを少しでもいいので続けていく。大切だがこれがどれほど困難なことなのか。AKBの被災地訪問は3年目を迎える。3.11のこの日だけじゃなく、被災地訪問を始めてから毎月欠かさず各地を回っている。

この被災地訪問にゴールはないと言う。自分たちを受け入れてくれるかぎり続けていくそうだ。

たかが、いちアイドルの活動とはいえ、毎月欠かさず訪れるというのは途方もないことだ。それも、混乱するといけないので訪問先を宣伝することはせずに。

AKBの劇場、握手会、コンサート行くとあたりまえのように募金箱が各所に置いていある。多くのファンが当たり前のように募金している姿を見る。

そして、多くのメンバーが毎回、被災地訪問に志願して訪れ、毎回、「笑顔を届けに行ったらこちらが笑顔と元気をたくさんもらった」と報告してくれる。

ほとんどのメンバーが被災地に足を踏み入れているのでその笑顔の中に辛さや悲しみを感じているのだろう。だけど自分たちにできることは一時でもその辛さや悲しみを和らげることだと自覚し懸命に歌い踊る。その思いが訪問先で伝わっているんだと信じる。

AKBに「風化」という二文字はない。

誰かのために
AKBは自分の夢を追いかけるだけじゃの場所じゃない。誰かの笑顔を創るために活動する場所でもあるとメンバーはこの震災支援活動で自覚しているはずだ。

このAKBの被災地訪問を見るとあの映像を思い出す。

AKBメンバーがとある東北の小学校を訪れたとき、その学校の教頭先生が言った。

「震災後から少しづつ、子供たちは元気になってきて、いつものようにはしゃいだりするんですけど、未だにどこか?心の奥底ではしゃいでいる感じがしなかったんですよ。

でもね、今日ね、みなさんが来て一緒に歌い踊っている時だけは、震災前の無邪気にはしゃいでいる子供たちがたくさんいました。

みなさんは...スゴイです。こんなに無邪気に心の底からはしゃいでいる子どもたちの笑顔を久々にみました。

ぜひ、どうか、この活動を続けてくださいね。ほんとうにありがとうございました」


歌にも芸術にも人を救う力なんかない。人を救うのは人の力なんだと思う。だから教頭先生はみなさんの歌の力はスゴイですねとは言わなかった。

「みなさんがスゴイ」と言ったんだと思う。

この言葉を聞いたメンバーはみな嗚咽を漏らして号泣していた。

自分たちの活動は「誰かのために」なっているんだと確信したんだと思う。だから、どんなことを言われようともこの活動を続けようと固く心に誓ったと思う。

これがAKB48である。

いつの日か、被災地訪問ではなく、東北各地でコンサートツアーを行える日を心から願う。