障害者を利用して感動の押し売りをする偽善マスコミ人にうんざり | ここがヘンだよTBS

障害者を利用して感動の押し売りをする偽善マスコミ人にうんざり

昨日のパラリンピックに関する記事では時間がなかったために書きたりなかったためにもう少し続きを。


今日もみのもんたはパラリンピックで「すごい」「よかった」などと褒め称えていましたけど、よく考えてみるとパラリンピックに出てる人って身体障害者ばかりなんですね。精神障害者は出ることができません。みのもんたってあそこに出てる人たちが障害者の全てだと思っていて、さぞかし、自分が障害者を思いやっている日本一の司会者だと思ってるのかもしれませんけど、おそらく精神障害者が出場できないことをヘンだとは思っていないんでしょうね。


それに出場している「"身体"障害者」と言ってもほとんど先進国の選手ばかり。経済的理由などから発展途上国の選手は出場なんかできないわけです。おそらく放送もされてないんじゃないですか。それで「世界最高峰の国際障害者スポーツ大会」だなんてよく言うよって思いますけどね。

要するに、みのもんたや竹内アナ・高畑アナをはじめとするマスコミは表層的なところしか見ていないわけで、障害者の一部である身体障害者のそれも先進国の一部の人間がスポーツをやっているのを見て「素晴らしい」だの、「感動した」だのと言ってるわけでしょう?日常生活で障害者を意識して生きてるわけでもない、それでいて、東横インの社長を袋叩きにして自分たちは障害者の味方みたいなアピールをするわけです。こういうのをご都合主義、偽善と言うんじゃないでしょうか?

だいたい「バリアフリー」だの「障害者との共生社会を目指す」と言いながらオリンピックとパラリンピックを分けてること自体、おかしいじゃないですか。バイアスロンで銅メダルを獲った左手のない16歳の子も健常者と一緒に練習してたんでしょう?だったら健常者と一緒にレースして何が問題があるのか理解できませんね。昨日カヌーや射撃から(身体障害者だという理由で)締め出すのはおかしいと言いましたけど、アメリカ大リーグでも手がなかった投手が普通に試合で投げてましたし、色盲だったか目に障害のある選手がシドニーオリンピックで普通に陸上競技に出て8位になってましたが、こういう姿こそ共生の精神に合致するんじゃないんですか?

だいたい障害者を「特別な目」で見るからパラリンピックだとか差別語なんて発想が生まれるわけで、インドみたいな国では普通に腕がなかったり足がない人間が明るく生きてますよ。ボランティアなんて行為がバカらしくなるくらい。昔、「ここがヘンだよ日本人」で障害者をネタにしたドッキリを放送している国を紹介してましたけど、障害者に偏見を持っていないからそういうことを笑いにできるのです。日本における禿げとかデブみたいな感覚ですね。

ところが、日本だと健常者も障害者に偏見を持っていて、可哀想な人間だと思っているし、障害者も五体満足じゃない自分にコンプレックスを持っていて、 健常者はどう接すればいいかわからず腫れ物に触れるような扱いをして、妙に持ち上げたり、絶賛したりするわけです。障害者の方も自分は常に社会から差別されていると誤解していて、妙に健常者との間に壁を作るわけです。これが両者の溝を深めているわけです。

マスコミが差別用語として言葉狩りをするのは、抗議を受けたくないという保身の産物でしかありませんが、そもそも彼らがそういう言葉に特別な感情を持っているから言葉狩りをするんで、特別な感情を持たない人は聞いてもなんとも思わないし、むしろ言葉に過敏になることで
逆に差別意識を持っていない人にも「彼らは特別な人間なんだ」という間違った認識をさせて、差別意識を植え付けさせているということになぜ気付かないのでしょうか?これは、抗議してくる人間も同じで、そうやって行政やテレビ局を脅して発言力を高めようとしたり、訴訟を起こして金を取ろうとする人間が果たして弱者と言えるのでしょうか?今の日本では弱腰行政とマスコミが自称「弱者」に媚びへつらうことによってそれが「利権」になっているわけです。だから私は、亀井静香議員の「乞食」発言を抑え込もうとしたみのもんたと柴田アナを批判しているんですが、みのもんたは行政の無駄使いを告発するならこういうところこそ、ズバッっとメスを入れろよ!と思うんですが、まあ怖くてできないんでしょうね。だからヘタレマスコミだと言われるのです。

パラリンピックを報じるマスコミの姿勢というのも、ありのままを伝えるというより、事実に多少尾ひれをつけてでも視聴者になにかを残せる、人々に勇気を与えることが重要だと思ってるフシがあって、だから、「以前はこんなに健康で、普通に生きていたのに、あんな不幸な事故(とか病気とか)でこんな身体になってしまって、一時は絶望したけれど、このスポーツに出会って、生きる意志を取り戻した。今は精一杯生きてる。どう、イイ話でしょう。泣けるでしょう」などと感動を誘うような演出をする
わけです。彼らは、選手をスポーツ選手としてではなく、スポーツをやってる障害者としてとらえているわけです。そして、障害者というものは例外なく、「明るく前向きで、マジメに頑張る好人物」である、そうでなければならない、と考え、そのとおりの番組を作って、たれ流していることが、朝ズバッを見てればよくわかります。そういう一部の障害者ををごく普通の姿であるかのように放送するマスコミが「都合よくゆがめた障害者像」を広めているのです。


そう考えると、やはりみのもんたや竹内アナ・高畑アナをはじめとするマスコミが本当に障害者のことを考えているのか、いやむしろ差別を助長しているのではないかと思える今日この頃。

テレビが障害者を利用して薄っぺらな感動の押し売りをする方が社会に対する害は大きいのでは?


P.S 体の一部が支障をきたしているのが障害者なら高齢者のほとんどはなぜ障害者と言わないのですか?