こんばんわ(*^▽^*)
今日は、シリーズ「九しゅう一しゅう」をお休みいたしまして、日曜日の出来事を・・・。
気付けば研修が始まって1ヶ月が経ち、職場の雰囲気にも慣れ始めてきました。
ただ、
職務上、
悪い意味で『慣れ』るのはいけないと自分では考えています。
日々前進し、
第一に利用者さんのQOLを高めて頂く、
心身共に豊かに生活して頂く、
そのようなことを願い、
僕は利用者さんの“生活”のお手伝いをさせていただくのであります。
『介護』
と、耳にすると、多くの人がお年寄りを助けてあげる、などといった上下の関係でしばしば見られがちです。
かと言って、これは間違いでもないこともないのですが、本当にそうでしょうか。
僕は「介護」という言葉はあまり好みません。だから、自らの職を「介護職」と表するのも、どこか気持ち悪いのです。
ただ、分かりやすく説明する場合に「介護職」という場合はありますが。
では一体何ななのか。
僕は「生活援助」という言葉を使います。
歳を重ねるにつれて人間誰もがその生活上の中で“やりにくさ”を覚えてきます。
例えば、お風呂で背中がしっかり洗えるでしょうか。
例えば、大便をした時、お尻まで手が回るでしょうか。
例えば、ベッドからリビングへすぐに移動できるでしょうか。
多かれ少なかれ、みんながその様な状態に陥るかもしれません。
でもこれは必然的なもの。
何も特別なことではないのです。
僕らは、個々が生活していく中で、どうしても他人の手が必要な部分に手を差し伸べるだけなのです。
要は・・・
『かゆい所をかいてあげる』
(「・・・あげる」という言葉は誤解を生みますが)
ただそれだけなのです。
そう!!孫の手です。
だから、
その人が出来る事、途中までやれる事などには“手”は差し伸べません。
その時は、『見守る(待つ)』という技術も必要になってくるわけであります。
他人事ではないですよ?
両親は誰が見るのですか?
他人(公的サービス)に任せッキリでいいのですか?
難しいことではないのです。
ただの『孫の手』・・・
背中がかゆい時に、使ってもらえばいいのです。