今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -52ページ目

今日という日【1月4日】

■青酸コーラ無差別殺人事件

1977年1月4日。

青酸コーラ無差別殺人事件」は、東京、大阪で起こった無差別殺人事件。シアン化ナトリウム(青酸ソーダ)入りのコカ・コーラを飲んだ会社員が死亡。「毒入りコーラ事件」とも呼ばれる。

1977年1月3日午後11時半頃、東京都港区で東海道新幹線の列車食堂のアルバイトに就いていた男子高校生(当時16歳・京都市在住)が、アルバイト先から宿舎へ戻る途中、品川駅近くの品川スポーツランド(現:品川プリンスホテル)正面にある公衆電話に置かれていた、未開封のコカ・コーラを拾い宿舎に持ち帰った。翌4日の午前1時過ぎに飲んだところ、男子高校生は異様な味を感じ、すぐに吐き出し水道水で口を漱ぐが、突然倒れてしまった。男子高校生は意識不明の重体となり、直ちに病院に運ばれ、胃洗浄などの救命処置が行われたが、まもなく死亡。死因は青酸中毒だった。

同月4日の午前8時15分頃、前述の男子高校生がコーラを拾った電話ボックスから、第1京浜国道道路を約600m北に行った歩道上で、作業員(当時46歳)が倒れているのが発見され、こちらも病院に運ばれたが死亡が確認された。死因は第一の事件と同様に青酸中毒であった。また、男性が倒れていた場所の近くには、男性が開栓したとみられるコーラのびんが発見され、残っていたコーラから青酸反応が検出された。
警察が周辺を捜索したところ、同日午後0時過ぎ頃、作業員がコーラを拾った電話ボックスから約600m離れた品川区にある商店の赤電話に、青酸入りのコーラが置かれているのを発見した。それ以前にその商店の息子(当時15歳)が用事で出かける際にこのコーラを発見していたが、用事の後に飲もうと思いそのまま出掛けたため、間一髪で難を逃れている。彼がコーラに毒物が入っていた事を知ったのは、用事から帰宅した時に警察官が来訪していたからであった。

警察は一連の事件を受け、同一犯の可能性が高いとみて、コーラが人気である若者世代や、青酸化合物を入手しやすい塗装業・加工業者をあたったが、物証に乏しく、犯人・犯行を特定できず、事件は謎を多く残したまま1992年1月4日午前0時をもって時効となった。

今日という日【1月3日】

■王政復古の大号令

1868年1月3日。

王政復古」は、江戸幕府・摂関制度の廃止と明治新政府樹立が宣言された政変のこと。

江戸時代末期(幕末)には、黒船来航(1853年)を画期として、諸外国との通商条約の締結などを巡り尊皇攘夷運動が盛んとなり、朝廷の政治的権威が急速に伸長した。一方、これに対抗する形で幕府と朝廷の提携による公武合体政策が取られ、尊王攘夷派が敗北した禁門の変(1864年)以後は幕府・会津藩ら(一会桑政権)が朝廷の主導権を握るに至ったが、この体制は国内諸勢力の支持を得られず、「公議」に基づく政治が広く要求されていた。

慶応3年12月9日(1868年1月3日)、朝議が終わり公家衆が退出した後、待機していた尾張藩・土佐藩・薩摩藩・越前藩・安芸藩の5藩兵が京都御所九門を封鎖した。御所への立ち入りは藩兵が厳しく制限し、驚いた二条摂政や朝彦親王などにも参内を禁止した。そうした中、赦免されたばかりの「岩倉 具視」らが参内し、新政府の樹立を決定、新たに置かれる三職の人事を定めた。その上で、改めて開催された三職会議小御所会議)でいわゆる「王政復古の大号令」を審議、決定した。内容は以下の通り。

1.将軍職辞職を勅許。
2.京都守護職・京都所司代の廃止。
3.江戸幕府の廃止。
4.摂政・関白の廃止。
5.新たに総裁・議定・参与の三職をおく。

今日という日【1月2日】

■二重橋事件

1954年1月2日。

二重橋事件」は、皇居一般参賀において、参賀者の間で将棋倒しが発生した事件。

この日は天気も快晴で皇居には38万をこえる人々が昭和天皇や皇族に対する一般参賀に訪れていた。しかしこれに対する警備は皇宮警察及び警視庁丸の内警察署の警察官、221人だけだった。
午後1時過ぎから皇居前の記帳所はもとよりその奥にある奥の橋や宮内庁の庁舎前まで一般参賀者の人垣で埋まる状態となったため、丸の内警察署は警視庁予備隊の出動を要請。
午後2時15分頃、警備の警察官が列を前に進めるために群衆整理用のロープをあげたところ二重橋の石橋に参賀者が殺到し、その群衆の中にいた老婆が転倒し、これをきっかけとして転んだ老婆の上に50人を越える一般参賀者が将棋倒しとなった。警察官は救急車を要請し、人工呼吸等の応急手当を行ったが、16人が死亡、65人が重軽傷を負った。

皇宮警察及び警視庁は警備上の欠陥を認め、被害者を慰問した。また、宮内庁は香典を供え弔慰の意を表した。天皇・皇后から、死亡者に対して菓子並びに盛花、負傷者に対して果物のお見舞い品が下賜された。
後日、群衆整理に問題があったとして、警視庁と皇宮警察本部の責任者9人が処分されたが、皇宮警察と警視庁は責任をなすり合った。この事件を教訓として警察は雑踏警備を重視するようになった。