今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -396ページ目

今日という日【7月2日】

■エスコバルの悲劇


1994年7月2日。


サッカー、コロンビア代表のセンターバックとして数々の国際大会に出場した、「アンドレス・エスコバル」が射殺された。


「1994 FIFAワールドカップ」本大会で、コロンビア代表は優勝候補の一角と目されていた。しかし初戦の1次ラウンド第1試合、ルーマニア戦を1-3で落とし、第2試合の開催国アメリカ戦は、決勝トーナメント進出のためには負けられない状況となった。コロンビア代表の守備の要として先発出場した「エスコバル」だったが、前半35分に痛恨のオウンゴールをアメリカに献上。その後追加点を許したコロンビア代表は、終了間際に1点を返すも届かず、1-2で敗戦。この時点で1次ラウンド敗退が決定した。


1次ラウンド終了後、代表チームはアメリカで解散となり、選手の多くは国民の非難や報復などの後難を恐れて帰国しようとしなかったが、「エスコバル」だけは、「自分はあのオウンゴールについてファンやマスコミに説明する義務がある」と唯1人帰国を決意したが、これが後に自身に降りかかる惨劇の幕開けとなった。

1994年7月2日、深夜3時半頃、メデリン郊外のバーで友人と歓談した後、店から出たところを銃撃され死亡。まだ27歳という若さであった。

エスコバル」と一緒にいた友人によると、犯人の「ウンベルト・ムニョス・カストロ」は銃撃の際、「オウンゴールをありがとう」という言葉を口にしながら、12発の弾丸を一気に発射したという。まだ大会の期間中に起こったこの衝撃的なニュースは世界中に報道され、直後に行われた決勝トーナメント1回戦のドイツvsベルギー戦とスペインvsスイス戦では彼の死を悼みキックオフ前に黙祷が捧げられた。


この一連の事件は後に「エスコバルの悲劇」と呼ばれ、今もなお語られている。

この事件はコロンビア代表のまさかの1次リーグ敗退への報復行為であったと広く信じられているが、果たしてこの犯人が単独で及んだ犯行だったのか、またワールドカップを賭けの対象としていた不法賭博シンジケートが関与していたかどうかについては明らかにされていない。シンジケートの用心棒だった犯人「ウンベルト・ムニョス・カストロ」は1995年6月に「エスコバル殺害」の罪で逮捕され、懲役43年の判決を受け服役したが、模範囚であるとして刑を短縮され11年後に出所した。


2006年7月2日、初のFIFA公認となるストリートサッカー大会がドイツで開催され、同大会の優勝トロフィーにはFIFAの理念であるフェアプレー精神、そして非暴力のシンボルとして「アンドレス・エスコバル杯」と命名されている。

日焼け

『地黒』


ども!TK89です。

歯茎の炎症、だいぶ良くなってきました。相変わらず食べる速度は通常時の半分に満たないスピードですが。


さて、昨日は炎天下の中、ゴルフに行ってきた訳なんですが、日蔭の有難味を感じつつも日焼けしまくりました。

で、仕事の付き合いで行ったゴルフではあったんですが、所長には内緒で行っていた訳で、直行直帰で仕事をしているフリして行ってた訳です。まぁ付き合いで言っている時点で自分の中では仕事なんですが。頭の固い所長で融通利かないからこういう対応になるんです。

そいで一緒に行った先輩は、休日出勤の代休をその日に当て込み行っており、その人は日焼けして真っ赤。今日の朝、出勤した瞬間にめっちゃ日焼けしてるやんって突っ込まれてた。まぁ休みを取ってたんでバレても最悪問題ない訳です。方や自分は仕事をサボって行ってる体になってる訳で。

ヤバいかなぁって思ってたら何にも言われないんですよねぇ。事情を知ってる他の先輩に「結構自分も日焼けしてると思うんですけどぉ」って言ったら、「全然分かんないよ」って。


地黒で良かったなぁって話。

いつも初対面の方にはサーフィンやってるんですか?って聞かれるし、黒いだけで第一印象はチャラい人だと思ってたぁなんて言われるしなぁ。

また、海行ったら影が服着てるとか、水着が浮いてるとか言われるんだろうな。まぁネタになるからイイけどねぇ。

チャオ!

今日という日【7月1日】

■ウォークマン(WALKMAN)発売


1979年7月1日。


ソニー」が「ウォークマン」の1号機「TPS-L2」を発売した。

場所を選ばず、いつでもどこでも音楽を聴くことのできる製品の登場は画期的な出来事であり、社会現象になるほどだった。以来、「ウォークマンWALKMAN)」は世界的な大ヒット商品としてポータブルオーディオの代名詞ともなっている。現在では、ソニー製ポータブルオーディオプレイヤーの総称となっている。


発売当初はマスコミの反応が芳しくなく、新聞掲載もごくわずかだったため、発売1ヶ月での売り上げはわずか3,000台に留まっていた。が、宣伝部や国内営業部隊のスタッフらによる広告、宣伝活動により、当時の若者たちの間に評判が広がり、8月に初回生産の3万台を完売すると、供給が需要に追い付かない状態が年内いっぱい続いたという。


音楽を携帯し気軽に楽しむ」という新しい文化を創造し、小型化・軽量化・薄型化を限りなく追求したのも「ウォークマンWALKMAN)」の歴史であった。