メイド居酒屋
『2軒目にて』
ども!TK89です。
木曜日、金曜日と豊橋へ出張だった。出張初日の夜はいつも飲みになる。
1軒目、普通の居酒屋で食って、飲んで、飲んで。朝も早かったし、酔いが回るのが早かった。
んで、2軒目に行ったのが「メイド居酒屋」。先輩がここ行ってみない?って言うからさ。
酔ってたし、ちょっと興味はあった。どんな感じなんやろなぁ?って。
最初に自分が注文したのは「デレ生」。まさか哺乳瓶で出て来るとわっ!最初の一口は無理矢理飲ませてくれるし。
先輩は「ツン生」を注文して、ドンっとジョッキを出されて、「お礼は?」「ありがとうございます」「聞こえない!」なんてやりとりを3回くらい繰り返してた。
このオムライス、メニューの名前忘れちゃったけど、メイドが先輩の為に一生懸命ケチャップで書いてくれてた。
他にも各メイドのオリジナルカクテルがあって、AKBの歌を歌いながら注いでくれてた。自分達の他に入ってた客はすっげぇ盛り上がってたな。
個人的に、結論言っちゃうと酔いがさめちゃった。メイドな女の子たちはなんだかビジネスライクな感じだったし、キャバクラみたいに常に隣にいて盛り上げてくれる訳じゃないし、正直何が楽しいんだろうって感じだった。
まぁイイ経験だったのかなぁ??
そんな初体験をした夜でした。
チャオ!
今日という日【10月7日】
■黒い霧事件発覚
1969年10月7日。
「黒い霧事件」とは、1969年から1971年にかけて発生した八百長を巡る騒動。
報知新聞の西鉄ライオンズ担当記者が、西鉄野手の「カール・ボレス」から「チームメイトにわざと失策する選手がいる」という話を聞き、調査を開始。
1969年10月7日、西鉄投手の「永易将之」が公式戦で暴力団関係者にわざと試合に負ける「敗退行為(八百長)」を持ちかけられ、それを実施していたことが判明。西鉄は永易をシーズンオフを以って解雇することを決定。翌日の10月8日に読売新聞と報知新聞がこれを報道。同年11月28日にコミッショナー委員会が永易に対し、「永久出場停止(追放)」という日本野球会初の処分を下した。
翌年の4月1日、永易の独占インタビューが深夜番組で放送され、その中で永易は「他にも敗退行為(八百長)をした選手がいる」と暴露し、それを行ったのではないかと疑われた西鉄の6人の選手を公表。
また、4月22日には、オートレースの競走の違反で送検されたオートレース選手が、「プロ野球選手がオートレースの八百長に参加した疑いがある」と自供。
この自供により、敗退行為を実行した者、敗退行為の依頼を受け現金を受理した者、敗退行為の勧誘を受け報告しなかった者、オートレース八百長に参加した者が、永久追放処分や、期限のある野球活動の禁止処分、出場停止処分などを受けた。
永久追放者を出した西鉄・中日は戦力の低下が見られた。特に西鉄のそれは著しく、1970年から72年と3年連続最下位、観客動員も激減して球団経営が完全に行き詰まり、1972年シーズン終了後に身売りされることになった。同時にパ・リーグの人気も下降することになった。
この事件は、読売によって仕組まれた陰謀とする見方も存在する。
高校時代に巨人のスカウトを断って敢えて西鉄に入団した池永(敗退行為の依頼を受け現金を受理したとされる)への処分が過剰に重く、池永の処分解除も、読売巨人軍オーナー:渡邉恒雄の「機構はいつまで彼(池永)を永久追放にしてるんだ」という問題提起によってやっと現実味を帯びてきたこともこの見方を強める根拠となる。さらには、当時パ・リーグ球団に在籍しその後巨人に移籍した某選手(彼も八百長の疑いをかけられていたにもかかわらず何ら処分が下されなかった)が、池永の処分解除に対して猛烈に反対していたことは、「巨人の威を借り生き延びた者が、自らのスケープゴードの復権に過剰な拒絶反応をしている」ような印象を与える。なお、某選手の前所属球団の同僚は無実を主張したまま復権できずに他界している。また、某選手は公の場では復権に反対していた一方、個人的には池永の経営していたスナックに客として度々訪れ、交友を持っていたという。


