今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -239ページ目

今日という日【2月23日】

■藤田小女姫殺害事件

1994年2月23日。

午後5時ごろ、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルルの高層マンションの部屋でボヤ騒動が起こった。火は駆けつけた消防隊員によって消火されたが、その部屋のクローゼットから日本の占い師「藤田 小女姫(本名:藤田 東亞子 当時56歳)の射殺体が発見された。1時間前の4時ごろに取引先の銀行に融資依頼をしていたが、藤田の電話の声が怯えていると感じた銀行員が領事館に連絡し、領事館職員がマンションに駆けつけるとボヤ騒動が起きており、藤田の射殺体が発見された。
また、同日に、殺害現場の高層マンションから数キロ離れたホテル駐車場で1台の乗用車が炎上しているのが発見。乗用車の中からは、ハワイ大学の学生であった藤田の一人息子(当時20歳)が手足をロープで縛られ、胸を銃撃された状態の焼死体で発見された。

交友関係の捜査の過程で、藤田の息子のスキューバダイビング仲間で銃器不法所持の前歴があった日本人男性A(事件当時28歳)が浮上。その後の捜査で、事件現場近くであった男性Aが住むアパートから犯行に使われたものと同じ弾丸が発見された。さらにソファから検出された血痕のDNAが藤田の息子のDNAと一致。また、男性Aが藤田が所持していた貴金属類を質屋に持ち込んで2,000ドルを借りていたことが判明。これによって、捜査機関は藤田親子を殺害したのは男性Aであると断定し、国際刑事警察機構を通じ日本の警察庁に身柄確保の要請を出した。

一方で、男性Aは事件の2日後の2月25日に日本に帰国。3月4日に神奈川県警に出頭し、殺害の無実を主張。4月3日、アメリカで起訴され、5月11日に法務省へ日米犯罪人引渡し条約による正式の請求があり、男性Aは米国ハワイに送還された。裁判では、男性Aを藤田親子を殺害した実行犯と認定して、第二級殺人罪で終身刑が確定した。が、ハワイ州では死刑制度が存在しないため、終身刑は最高刑であるが、30年服役すれば、出所できる可能性がある。

また、藤田が生前記録していたと言われる「ノート」がいまだに発見されていない。このノートには「政財界のエピソード」が書かれたとされており、そのノートが世に出ると困る大物が殺害事件の裏にいるという陰謀説が存在する。

藤田 小女姫」は、9歳のときにハワイの狐が憑依し、霊感を得たといい、小学校6年生のときに、産経新聞の社会面トップで紹介された。
昭和30、40年代にも霊感を持つ占い師として雑誌やテレビで取り上げられ、「岸 信介」「福田 赳夫」「松下 幸之助」「小佐野 賢治」などの政財界の大物を顧客として財を成した。日米安保条約の成立と岸信介首相の退陣、今上天皇の結婚、朴正煕暗殺事件、周恩来中国首相の死などの予言を的中させたと言われる。

2月22日の名言

たいていの人々は、

運命に過度の要求をすることによって、

自ら不満の種をつくっている。

カール・ヴィルヘルム・フォン・フンボルト

今日という日【2月22日】

■竹島の日

2005年2月22日。

竹島の日」は、2005年に「竹島の日を定める条例(2005年3月25日島根県条例第36号)」により定められた。

島根県隠岐郡隠岐の島町の竹島は、1905年1月28日に島根県への編入を閣議決定し、同年2月22日に島根県知事が所属所管を明らかにする告示を行った(1905年島根県告示第40号)。
2005年はこの閣議決定および告示から100周年にあたることを記念して、同年3月16日、島根県議会は2月22日を「竹島の日」とする「竹島の日を定める条例」を制定し、当時の島根県知事もこれを全面的に支持した。同条例1条は、「県民、市町村及び県が一体となって、竹島の領土権の早期確立を目指した運動を推進し、竹島問題についての国民世論の啓発を図るため、竹島の日を定める。」としている。

大韓民国では、この「竹島の日」の制定に対して、激しい抗議運動が起こった。日本では当初から竹島は日本領であるという認識が浸透していたため、交流行事などは通常通り実施され、在日韓国人や日本を訪れた韓国人観光客に対する嫌がらせの行為も見られず、日本に対する韓国の反発は、日本人の韓国に対するイメージを悪化させた。

2009年2月の調査によれば、韓国のネット利用者の6割が、島根県が2月22日を「竹島の日」としたことを知らなかったり、関心がないと回答している。