今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -152ページ目

6月24日の名言

成功に至る第一歩は、

自分が心に何を望んでいるかを

見つけ出すことです。

それがはっきりとわからないうちは、

何を期待してもだめです。

デール・カーネギー

今日という日【6月24日】

■ベルリン封鎖

1948年6月24日。

ベルリン封鎖」は、第二次世界大戦後、ソ連政府が西ベルリンに向かう全ての鉄路と道路を封鎖した事件であり、冷戦初期を象徴する事件。

第二次世界大戦の戦局が連合国軍に優勢になると、連合国では戦後処理に関する協議が開始された。1943年10月にはモスクワで英米ソの3ヶ国による戦後処理についての外相会談が行われ、ドイツの無条件降伏とナチ政権の潰滅、3ヶ国による暫定分割統治、復興協議機関としてのFACの設立などが合意事項として決定され、テヘラン会談で具体的なガイドラインが定められた。
1944年1月の第一回FAC会議で、イギリスのクレメント・アトリー副首相からドイツ領土、および特別地域として扱われた首都ベルリンの共同統治案が出され、承認されたのち9月に調印。1944年には共同統治機関として、軍政司令部や管理理事会が設立された。1945年に入ってフランスが解放されると、共同統治国にはフランスが加えられて4ヶ国になった。

1945年4月30日、ドイツでは総統「アドルフ・ヒトラー」が自殺し、5月にはドイツが連合国に無条件降伏。先立ってソ連軍が占領状態に置いていたベルリンには各国の駐留軍が進駐するが、独ソ戦の賠償や自国の支配圏の拡大を望むソ連政府は、西側の進駐を妨害するなど非協力的で、西ベルリン地域ではソ連の秘密工作や不法行為も起こっていた。東ベルリンはソ連、西ベルリンは英米仏の3ヶ国が統治し、実質的に2分割された。西ベルリンの周囲は全てソ連統治下のため飛地状態となった。
1948年になると、分割占領された首都の全体をどこが支配するのかを巡って、ことごとく対立。さらにソ連はドイツとの戦争で甚大な被害が出ていたため取れるものは全てとるという方針をとったことから、早期復興を目指す西側3ヶ国と対立。そのような対立の中、ソ連は西ベルリンへの交通制限を西側へ通達した。

冷戦状態はこの後も長引き、英米仏は統一ドイツ建設の試みをあきらめた。1949年5月にドイツ連邦共和国(西ドイツ)が、10月にドイツ民主共和国(東ドイツ)がそれぞれ建国されるが、東ドイツは自国民の西ベルリンへの脱走を防止するため、1961年8月に「ベルリンの壁」を建設した。

6月23日の名言

失敗と

不可能とは違う。

スーザン・ブローネル・アンソニー