今日という日【7月12日】
■人間ドックの日
1954年7月12日。
日本における生活習慣病検診は、1953年に社団法人ライフ・エクステンション倶楽部(現:ライフ・エクステンション研究所付属永寿総合病院)が初めて行い(当時の呼び名は成人病精密総合診断)、短期入院を伴う人間ドックはその翌年1954年7月12日に保健同人社の発意により、同社が運営面を担当、検診作業を国立東京第一病院(現:国立国際医療センター)が担当して開始されたのが始まり。
人間ドック誕生から3年後には全国の病院で次々に創設され、厚生省(現:厚生労働省)から病院単独での運営が公認されたことに伴い、当初、受診者の受け入れ、登録、補充など現場運営を担っていた保健同人社は検査作業の委託と受諾の契約を解消し、当局に返上した。
人間ドックは医療保険の対象ではないが、加入している健康保険組合によっては年齢などの条件(35歳あるいは40歳以上)を満たせば一定額の補助が出る。人間ドックは労働基準法、労働安全衛生法で定められている健康診断に含まれる。
異常が見つかりやすい項目は、肝機能障害、高コレステロール、肥満、腎・膀胱疾患、高中性脂肪など。
1954年7月12日。
日本における生活習慣病検診は、1953年に社団法人ライフ・エクステンション倶楽部(現:ライフ・エクステンション研究所付属永寿総合病院)が初めて行い(当時の呼び名は成人病精密総合診断)、短期入院を伴う人間ドックはその翌年1954年7月12日に保健同人社の発意により、同社が運営面を担当、検診作業を国立東京第一病院(現:国立国際医療センター)が担当して開始されたのが始まり。
人間ドック誕生から3年後には全国の病院で次々に創設され、厚生省(現:厚生労働省)から病院単独での運営が公認されたことに伴い、当初、受診者の受け入れ、登録、補充など現場運営を担っていた保健同人社は検査作業の委託と受諾の契約を解消し、当局に返上した。
人間ドックは医療保険の対象ではないが、加入している健康保険組合によっては年齢などの条件(35歳あるいは40歳以上)を満たせば一定額の補助が出る。人間ドックは労働基準法、労働安全衛生法で定められている健康診断に含まれる。
異常が見つかりやすい項目は、肝機能障害、高コレステロール、肥満、腎・膀胱疾患、高中性脂肪など。
今日という日【7月11日】
■小倉黒人米兵集団脱走事件
1950年7月11日。
この日、小倉市で黒人のアメリカ軍兵士250人が城野補給基地から集団で脱走。
完全武装したアメリカ軍兵士は4、5人に分かれて繁華街や民家に侵入し、略奪、傷害、強姦を繰り返した。カービン銃やライフルを手にした脱走兵の中には手榴弾をぶら下げている者もいたという。
駐日アメリカ軍の憲兵と小倉警察はなすすべもなく、アメリカ陸軍二個中隊が鎮圧のために投入され市街戦となる。翌12日には終息に向かうが、市街戦の末15日に鎮圧したとも言われている。
脱走兵は前日10日に岐阜から城野補給基地第24連隊に移送され、近いうちに「朝鮮戦争」に送られる予定であり、その恐怖が脱走につながったとされている。生き残った逮捕者は「朝鮮戦争」の最前線に送られ、ほとんどが戦死したと言われている。
大事件ではあったが、日本がアメリカ軍を中心とした連合国軍に占領されている状況下であったことから、「GHQ」の情報規制のためほとんど報道されず、被害の詳細もわかっていない。警察に届けられた被害は70数件であったが、表沙汰にならない強姦事件も多数あったと伝えられている。当時の日本人の多くはこの事件を知らなかった。
1950年7月11日。
この日、小倉市で黒人のアメリカ軍兵士250人が城野補給基地から集団で脱走。
完全武装したアメリカ軍兵士は4、5人に分かれて繁華街や民家に侵入し、略奪、傷害、強姦を繰り返した。カービン銃やライフルを手にした脱走兵の中には手榴弾をぶら下げている者もいたという。
駐日アメリカ軍の憲兵と小倉警察はなすすべもなく、アメリカ陸軍二個中隊が鎮圧のために投入され市街戦となる。翌12日には終息に向かうが、市街戦の末15日に鎮圧したとも言われている。
脱走兵は前日10日に岐阜から城野補給基地第24連隊に移送され、近いうちに「朝鮮戦争」に送られる予定であり、その恐怖が脱走につながったとされている。生き残った逮捕者は「朝鮮戦争」の最前線に送られ、ほとんどが戦死したと言われている。
大事件ではあったが、日本がアメリカ軍を中心とした連合国軍に占領されている状況下であったことから、「GHQ」の情報規制のためほとんど報道されず、被害の詳細もわかっていない。警察に届けられた被害は70数件であったが、表沙汰にならない強姦事件も多数あったと伝えられている。当時の日本人の多くはこの事件を知らなかった。