おでってさ行きました!
『南三陸町volunteer』
ども!TK89です。
昨日終わってしまった三連休。僕は宮城県本吉郡南三陸町にいた。人生3度目、1年ぶりのボランティア活動に参加してきたから。
名古屋から約820km。13日、金曜日の夜、名古屋を出て、寝ずのドライブ。21時くらいに出て、南三陸町ボランティアセンターに着いたのは、7時半。8時半からボランティアの受付。9時半に活動場所へ各自移動。10時くらいから活動開始。活動内容は、瓦礫、土砂の除去。
去年、亘理町に行った時は、家が残ってて、敷地内、家の中に入ってしまったヘドロなどの除去作業など。家主にありがとうって直接言ってもらえる活動だった。
でも、今回は、すぐ近くに湾があって、津波をもろに受けた土地。誰の家で、誰が頼んだ仕事かも分からない。リーダーも何の為の作業なのか、どこまでやらなきゃいけない作業なのか、指示も曖昧。なんだかボランティアの為のボランティア作業な感じ。
でも、タイトルにもした「おでってさ行きました!」。これ、方言で「お手伝いに行きました」って意味。ビブスには「おでってさ来ました」って入ってた。つまり、「お手伝いに来ました」ってこと。
そう、僕はお手伝いに行っていた。その活動や作業がどんなことであれ、誰の為なのかってのは関係ない。僕は南三陸町の復興への手伝いに少しでもなれればって、この地に入ったんだって思って頑張った。
何の為の、誰の為の作業なのか分からないまま頑張るのは辛い。やっぱりボランティアって、自己満足なのかなって、1年ぶりでも思ってしまった。
でも、これからもボランティア活動は続けていきたいって思う。自己満足かもしれないけど、誰かの為になってるって勝手に思ってるけど、自分の存在意義探しに行ってるだけかもしれないけど、続けていきたい。なんでか分からないケド。
美味いもの、食わせてもらったし、その対価かな。
っつっても俺、金払ってるけどね。
全然金持ちじゃないから、少しだけ。復興への募金。
最後まで避難を呼び掛けた、あなたのそばに行けたのも、感慨深かった。そういうことを改めて想えるのも、現地に出向いてのボランティアのいいところなのかもしれない。
それでは、また。
涙の数だけ強くなれる。
笑顔の数だけ優しくなれる。
チャオ!
ども!TK89です。
昨日終わってしまった三連休。僕は宮城県本吉郡南三陸町にいた。人生3度目、1年ぶりのボランティア活動に参加してきたから。
名古屋から約820km。13日、金曜日の夜、名古屋を出て、寝ずのドライブ。21時くらいに出て、南三陸町ボランティアセンターに着いたのは、7時半。8時半からボランティアの受付。9時半に活動場所へ各自移動。10時くらいから活動開始。活動内容は、瓦礫、土砂の除去。
去年、亘理町に行った時は、家が残ってて、敷地内、家の中に入ってしまったヘドロなどの除去作業など。家主にありがとうって直接言ってもらえる活動だった。
でも、今回は、すぐ近くに湾があって、津波をもろに受けた土地。誰の家で、誰が頼んだ仕事かも分からない。リーダーも何の為の作業なのか、どこまでやらなきゃいけない作業なのか、指示も曖昧。なんだかボランティアの為のボランティア作業な感じ。
でも、タイトルにもした「おでってさ行きました!」。これ、方言で「お手伝いに行きました」って意味。ビブスには「おでってさ来ました」って入ってた。つまり、「お手伝いに来ました」ってこと。
そう、僕はお手伝いに行っていた。その活動や作業がどんなことであれ、誰の為なのかってのは関係ない。僕は南三陸町の復興への手伝いに少しでもなれればって、この地に入ったんだって思って頑張った。
何の為の、誰の為の作業なのか分からないまま頑張るのは辛い。やっぱりボランティアって、自己満足なのかなって、1年ぶりでも思ってしまった。
でも、これからもボランティア活動は続けていきたいって思う。自己満足かもしれないけど、誰かの為になってるって勝手に思ってるけど、自分の存在意義探しに行ってるだけかもしれないけど、続けていきたい。なんでか分からないケド。
美味いもの、食わせてもらったし、その対価かな。
っつっても俺、金払ってるけどね。
全然金持ちじゃないから、少しだけ。復興への募金。
最後まで避難を呼び掛けた、あなたのそばに行けたのも、感慨深かった。そういうことを改めて想えるのも、現地に出向いてのボランティアのいいところなのかもしれない。
それでは、また。
涙の数だけ強くなれる。
笑顔の数だけ優しくなれる。
チャオ!
今日という日【7月17日】
■風刺漫画雑誌「パンチ」創刊
1841年7月17日。
「ヘンリー・メイヒュー」及び「マーク・レモン」、そして木版画家「エビネザー・ランデルズ」により、イギリスの週刊風刺漫画雑誌「パンチ」が創刊された。
「パンチ」の創刊者たちは、フランスの日刊風刺新聞「ル・シャリヴァリ」を見て、イギリスにも同様の雑誌を作ろうと考えた。その風刺的かつユーモラスな意図を反映して、彼らはその雑誌に、過激な言動で知られていた人形芝居のキャラクターである「ミスター・パンチ」の名を冠して発行人に据え、またフランスの雑誌にあやかって「ザ・ロンドン・シャリヴァリ」と副題を添えた。現代の用語カートゥーンが漫画を意味する言葉となったのは、「パンチ」の功績。
創刊号の表紙は挿絵画家の「アーチボルド・ヘニング」が担当。創刊号は「W・ブライアント出版社」から発売。雑誌サイズはA4判14ページ、値段は3ペンス、第1刷5,000部と増刷5,000部の計10,000部を売り上げた。
1841年7月17日。
「ヘンリー・メイヒュー」及び「マーク・レモン」、そして木版画家「エビネザー・ランデルズ」により、イギリスの週刊風刺漫画雑誌「パンチ」が創刊された。
「パンチ」の創刊者たちは、フランスの日刊風刺新聞「ル・シャリヴァリ」を見て、イギリスにも同様の雑誌を作ろうと考えた。その風刺的かつユーモラスな意図を反映して、彼らはその雑誌に、過激な言動で知られていた人形芝居のキャラクターである「ミスター・パンチ」の名を冠して発行人に据え、またフランスの雑誌にあやかって「ザ・ロンドン・シャリヴァリ」と副題を添えた。現代の用語カートゥーンが漫画を意味する言葉となったのは、「パンチ」の功績。
創刊号の表紙は挿絵画家の「アーチボルド・ヘニング」が担当。創刊号は「W・ブライアント出版社」から発売。雑誌サイズはA4判14ページ、値段は3ペンス、第1刷5,000部と増刷5,000部の計10,000部を売り上げた。







