今日という日【7月22日】
■八王子通り魔事件
2008年7月22日。
午後9時40分頃、東京都八王子市の京王線京王八王子駅の駅ビルである京王八王子ショッピングセンターの9F啓文堂書店にて、33歳男性が文化包丁を用いて、中央大学文学部4年生でアルバイト店員だった22歳女性と来店客21歳女性を刺した。
その後、被疑者はエレベーターで1Fに下りて外に逃亡。22歳女性アルバイト店員は死亡、21歳女性は全治3ヶ月の重傷を負った。事件現場には現金や身分証明書が入った財布が、エレベーターには凶器の包丁が放置されていた。
同日午後10時頃、被疑者は事件現場300m離れたJR八王子駅北口近くの路上で、警察官に職務質問された際に犯人と認め、八王子ターミナルビル1Fに所在する八王子駅北口交番にて目撃者の立証が取れたため緊急逮捕。
パトカーや警察用自転車(白チャリ)を用いて20人近くの警察官が事件現場と逮捕現場である交番前に集結し、周囲は騒然と化した。
被疑者は「仕事でうまくいかず、親が相談にのってくれなかったため、無差別で人を殺そうと思った」、凶器の包丁は八王子市内の100円ショップで買ったと供述。父親は自宅に来た報道各社の取材に応じ、被疑者である子はフリーターとして職を転々とし、いわゆるパラサイト・シングルであったとされる。
この事件が発生した2008年には、「土浦連続殺傷事件(3月19日、23日)」、「秋葉原通り魔事件(6月8日)」が発生しており、理由なき通り魔事件の続発として報道された。
2008年7月22日。
午後9時40分頃、東京都八王子市の京王線京王八王子駅の駅ビルである京王八王子ショッピングセンターの9F啓文堂書店にて、33歳男性が文化包丁を用いて、中央大学文学部4年生でアルバイト店員だった22歳女性と来店客21歳女性を刺した。
その後、被疑者はエレベーターで1Fに下りて外に逃亡。22歳女性アルバイト店員は死亡、21歳女性は全治3ヶ月の重傷を負った。事件現場には現金や身分証明書が入った財布が、エレベーターには凶器の包丁が放置されていた。
同日午後10時頃、被疑者は事件現場300m離れたJR八王子駅北口近くの路上で、警察官に職務質問された際に犯人と認め、八王子ターミナルビル1Fに所在する八王子駅北口交番にて目撃者の立証が取れたため緊急逮捕。
パトカーや警察用自転車(白チャリ)を用いて20人近くの警察官が事件現場と逮捕現場である交番前に集結し、周囲は騒然と化した。
被疑者は「仕事でうまくいかず、親が相談にのってくれなかったため、無差別で人を殺そうと思った」、凶器の包丁は八王子市内の100円ショップで買ったと供述。父親は自宅に来た報道各社の取材に応じ、被疑者である子はフリーターとして職を転々とし、いわゆるパラサイト・シングルであったとされる。
この事件が発生した2008年には、「土浦連続殺傷事件(3月19日、23日)」、「秋葉原通り魔事件(6月8日)」が発生しており、理由なき通り魔事件の続発として報道された。
今日という日【7月21日】
■日本三景の日
1618年7月21日。
日本三景観光連絡協議会が制定。「日本国事跡考」で「松島」「天橋立」「宮島」が日本三景として絶賛した「林 鵞峰」の誕生日に因む。
「日本三景」は、「松島」「天橋立」「宮島」の3つの名勝地を指す。全て海にある風景となっており、各々古くから詩歌に詠まれ、絵画に描かれていた。
・松島:宮城県宮城郡松島町を中心とした多島海
・天橋立:京都府宮津市にある砂嘴
・厳島(宮島): 広島県廿日市市にある厳島神社を中心とした島
江戸時代前期の1643年に、儒学者「林 春斎」がその著書「日本国事跡考」において、「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳興、丹後天橋立、安芸厳島為三処奇観」と書き記した。これを端緒に「日本三景」という括りが始まったとされる。
その後、1689年に儒学者「貝原 益軒」が、その著書「己巳紀行」において、天橋立を旅したくだりで天橋立を「日本の三景の一とするも宜也」と記している。これが「日本三景」という言葉の文献的な初出とされ、貝原が訪れる以前から「日本三景」が一般に知られた括りであったと推定されている。
1618年7月21日。
日本三景観光連絡協議会が制定。「日本国事跡考」で「松島」「天橋立」「宮島」が日本三景として絶賛した「林 鵞峰」の誕生日に因む。
「日本三景」は、「松島」「天橋立」「宮島」の3つの名勝地を指す。全て海にある風景となっており、各々古くから詩歌に詠まれ、絵画に描かれていた。
・松島:宮城県宮城郡松島町を中心とした多島海
・天橋立:京都府宮津市にある砂嘴
・厳島(宮島): 広島県廿日市市にある厳島神社を中心とした島
江戸時代前期の1643年に、儒学者「林 春斎」がその著書「日本国事跡考」において、「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳興、丹後天橋立、安芸厳島為三処奇観」と書き記した。これを端緒に「日本三景」という括りが始まったとされる。
その後、1689年に儒学者「貝原 益軒」が、その著書「己巳紀行」において、天橋立を旅したくだりで天橋立を「日本の三景の一とするも宜也」と記している。これが「日本三景」という言葉の文献的な初出とされ、貝原が訪れる以前から「日本三景」が一般に知られた括りであったと推定されている。