今日という日【7月31日】
■蓄音器の日
1877年7月31日。
この日、「トーマス・アルバ・エジソン」が「蓄音器」の特許をとったことに因む。
「蓄音機」は、音声の振動を物理的な溝の凹凸ないし左右への揺れとして記録されたレコードから、振動を取り出し拡大して、音声を再生する装置。
1857年、フランス人「エドゥアール=レオン・スコット・ド・マルタンヴィル」が発明した「フォノトグラフ」が、音を記憶する装置の最古のもの(実際に波形を記録しているが、当時の技術でそれを音として再生する手段はなかった)。「トーマス・アルバ・エジソン」他による改良や発明を経て、平面盤であるレコードとその再生専用機ができ、また録音はラッカー盤という専用の盤にカッティングマシンという専用機で記録し、それから雄型を作成して大量生産するようになった。
日本では、1910年、日本発の国産蓄音機「ニッポノホン」が発売。これには、軍艦行進曲などが収録されたレコードが付属していた。
1877年7月31日。
この日、「トーマス・アルバ・エジソン」が「蓄音器」の特許をとったことに因む。
「蓄音機」は、音声の振動を物理的な溝の凹凸ないし左右への揺れとして記録されたレコードから、振動を取り出し拡大して、音声を再生する装置。
1857年、フランス人「エドゥアール=レオン・スコット・ド・マルタンヴィル」が発明した「フォノトグラフ」が、音を記憶する装置の最古のもの(実際に波形を記録しているが、当時の技術でそれを音として再生する手段はなかった)。「トーマス・アルバ・エジソン」他による改良や発明を経て、平面盤であるレコードとその再生専用機ができ、また録音はラッカー盤という専用の盤にカッティングマシンという専用機で記録し、それから雄型を作成して大量生産するようになった。
日本では、1910年、日本発の国産蓄音機「ニッポノホン」が発売。これには、軍艦行進曲などが収録されたレコードが付属していた。
今日という日【7月30日】
■プロレス記念日
1953年7月30日。
この日、「力道山」が「日本プロレス協会」を結成したことに由来する。
「力道山」は相撲を廃業後、アメリカへ渡り、帰国後プロレス興行を始めた。「木村 政彦」と組み「シャープ兄弟」と対戦した試合はテレビを通じて全国に中継され話題を呼ぶ。当時の日本には「木村 政彦」の「国際プロレス団」や「山口 利夫」の「全日本プロレス協会」などが存在したが、この2人を直接対決で下した「力道山」が著名となると、競合団体は相次いで消滅。日本プロレスがほぼ唯一と言っていいプロレス団体となった。
一時期は日本で唯一とも言えるプロレス団体であり、プロレス界に与えた影響は計り知れない。「力道山」以後のプロレス界において双璧をなすことになる「ジャイアント馬場」(後に全日本プロレスを創立)と「アントニオ猪木」(後に新日本プロレスを創立)も、1960年9月30日に「日本プロレス」で同時デビューしている。また、後に「国際プロレス」を創立した「吉原 功」も「日本プロレス」の元レスラーだった。平成になってからの多くのインディー団体も全日本・新日本の元所属レスラーが主体となって興した団体が多く、人脈的にたどれば日本のほとんどの団体が「日本プロレス」に行き着くことになる。
1953年7月30日。
この日、「力道山」が「日本プロレス協会」を結成したことに由来する。
「力道山」は相撲を廃業後、アメリカへ渡り、帰国後プロレス興行を始めた。「木村 政彦」と組み「シャープ兄弟」と対戦した試合はテレビを通じて全国に中継され話題を呼ぶ。当時の日本には「木村 政彦」の「国際プロレス団」や「山口 利夫」の「全日本プロレス協会」などが存在したが、この2人を直接対決で下した「力道山」が著名となると、競合団体は相次いで消滅。日本プロレスがほぼ唯一と言っていいプロレス団体となった。
一時期は日本で唯一とも言えるプロレス団体であり、プロレス界に与えた影響は計り知れない。「力道山」以後のプロレス界において双璧をなすことになる「ジャイアント馬場」(後に全日本プロレスを創立)と「アントニオ猪木」(後に新日本プロレスを創立)も、1960年9月30日に「日本プロレス」で同時デビューしている。また、後に「国際プロレス」を創立した「吉原 功」も「日本プロレス」の元レスラーだった。平成になってからの多くのインディー団体も全日本・新日本の元所属レスラーが主体となって興した団体が多く、人脈的にたどれば日本のほとんどの団体が「日本プロレス」に行き着くことになる。