今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -117ページ目

今日という日【8月14日】

■葛根廟事件

1945年8月14日。

葛根廟事件(かっこんびょうじけん)」は、満州国興安総省の葛根廟(現:中華人民共和国内モンゴル自治区ヒンガン(興安)盟ホルチン右翼前旗葛根廟鎮)において、日本人避難民約千百数人(9割以上婦女子)がソ連軍によって攻撃され、1,000人以上が虐殺された事件。

1945年8月9日未明、ソ連は日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦を布告し、満洲国、朝鮮半島、樺太などに侵攻を開始。
8月10日、11日の両日、興安(現:内モンゴル自治区ヒンガン盟のウランホト)が爆撃を受け、興安の都市機能はほぼ破壊された。11日午後4時、興安街在住の日本人約千数百人が近郊のウラハタに集結、興安総省参事官「浅野 良三」の指揮下、行動隊が組織された。行動隊の当初の目的地は100km離れたジャライトキだったが、12日からの降雨や興安軍による馬車の略奪などにより計画を変更。興安街の南東約40kmに位置する葛根廟を経由し列車(白阿線)で白城子(現:吉林省の白城)へ避難、同地で関東軍の保護を受けつつ列車でさらに南下するという計画を立て、徒歩で移動を開始した。

8月14日午前11時40分頃、行動隊が葛根廟丘陵付近まで到達したところで、ソ連軍中型戦車14両とトラック20台に搭乗した歩兵部隊に遭遇したため、浅野参事官は白旗を掲げたが、機関銃で射殺された。ソ連軍は丘の上から行動隊に対し攻撃を開始し、戦車が機関銃で攻撃を加えながら、避難民を轢き殺していった。戦車の後方からは、ひき殺された人々がキャタピラに巻き込まれ宙に舞いだしたという。ソ連軍戦車は攻撃をある程度続けると、丘に引き返し、何度も避難民めがけて突入しながら攻撃を繰り返した。戦車による襲撃が止むとトラックから降りたソ連兵が生存者を見つけ次第次々と射殺し、銃剣で止めを刺していった。
2時間余りの間に非武装の女性、子どもを主体とした1,000人以上が殺害され、生存者は百数十名にすぎないとされている。殺害を免れた者も戦車に轢かれたり、被弾して負傷したものや、家族が殺害されたものがほとんどであり、大勢が自決した。犠牲者のうちの200人近くの児童は、興安街在満国民学校の児童であった。

生存者に対する襲撃も執拗を極めた。生存者は、暴民によって、身につけている下着にいたるまで身ぐるみ全てを剥がされるなどした。また、暴民から逃れようとして川で溺死した者もいた。ある女性はソビエト兵に子どもを殺され、続いて襲ってきた暴民に衣服を全てはぎ取られた上に鎌で乳房を切り落とされている。暴民たちは、生き残った母子を見つけると母親を棒で殴りつけ、子どもを奪っていった。親を殺された子どもたちは、生き残った大人のもとに集まっていたが、暴民たちはその子どもたちをも同様に奪っていった。当時は日本人の男児は300円、女児は500円で売買されるのが一般的であった。

8月15日の終戦後も、避難民に対する襲撃は続いた。事件後に10人余りの婦女子の一団に加わった12歳の少女の証言によると、少女が加わった女性たちの一団は、暴民に襲われて衣服を奪い取られ暴行を受けるなどしながら、一週間余りをかけて葛根廟駅から10kmのところにある鎮西駅にたどりついた。女性たちは駅から少し離れたところにある畑の空き家に身を寄せることにしたが、夜になるとソビエト兵に発見され、深夜まで暴行が行われた。暴行が終わるとソビエト兵たちは屋外に積まれてあった枯れ草を家の中に投げ入れては火を付け、女性たちを焼き殺そうとした。少女と妹は窓のそばにいたために難を逃れることができたが、他の女性たちは火の周りが早く脱出できなかったようであると証言している。助かった少女はその後、残留孤児として生きてゆくことを余儀なくされた。
一方、中国人、モ手厚く育てる者もいた。ンゴル人、朝鮮人のなかには生存者に食事を提供する者もおり、中国人のなかには子どもを手厚く育てる者もいた。行動隊の生き残った子どもは、さまざまな経緯から中国残留孤児となっていた。また、多くの女性が中国残留婦人となることを余儀なくされた。

この事件は戦後、第二次世界大戦におけるソ連の戦争犯罪として取り上げられており、暴民ではなく一国の軍隊の攻撃によって無差別的に大量虐殺されたジェノサイドであり、その点では終戦時に満洲の日本人難民が遭遇した悲劇のなかでも最大のものである。

8月13日の名言

もし今日の自分が明日の自分と同じであるならば、

今日の自分は昨日の自分の奴隷にすぎない。

人間の特質はそうでなくて、

日々新しく創造的に昨日の自分を乗り越える、

そこに人間の本質がある。

コンドルセ侯爵マリー・ジャン・アントワーヌ・ニコラ・ド・カリタ

今日という日【8月13日】

■郡上おどりの初日

1591年8月13日。

郡上おどり」は、岐阜県郡上市八幡町(旧:郡上郡八幡町、通称「郡上八幡」)で開催される伝統的な盆踊り。日本三大盆踊り、日本三大民謡(郡上節)に数えられる。

郡上節を演奏する囃子の一団が乗る屋形を中心に、自由に輪を作り時計回りに周回しながら踊る。会場が街路の場合もあるので、輪は円形とは限らない。踊りには曲ごとに定型がある。振り付けの基本は簡素なので、初心者や観光客でも見様見真似で踊ることができるようになる。装束は男女とも浴衣に下駄履きが標準的だが強制ではない。踊りへの参加は完全に自由で、飛び入りや離脱に規制はない。通常、見物人よりも踊り手の方が圧倒的に多数。

毎年7月中旬から9月上旬まで延べ32夜開催され、8月13日~16日は、午後8時から明け方まで夜通し踊り続ける「盂蘭盆会徹夜踊り)」。この4日間の徹夜踊りに来訪する踊り客はおよそ25万人に達するといわれる。