今日という日【5月21日】 | 今日は何の日?【トリビアン】で雑学王

今日という日【5月21日】

■津山事件

1938年5月21日。

津山事件」は、1938年(昭和13年)5月21日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現:津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両集落で発生した大量殺人事件。犯人の姓名を取って「都井睦雄(とい むつお)事件」ともいう。
2時間足らずで30人(自殺した犯人を含めると31人)が死亡し、3人が重軽傷を負うという、犠牲者数がオウム真理教事件(27人)をも上回る日本の犯罪史上前代未聞の殺戮事件。

1938年5月20日午後5時頃、都井は電柱によじ登り送電線を切断、貝尾集落のみを全面的に停電させる。しかし村人たちは停電を特に不審に思わず、これについて電気の管理会社への通報や、原因の特定などを試みることはなかった。
翌5月21日1時40分頃、都井は行動を開始。詰襟の学生服に軍用のゲートルと地下足袋を身に着け、頭にははちまきを締め、小型懐中電灯を両側に1本ずつ結わえ付けた。首からは自転車用のナショナルランプを提げ、腰には日本刀一振りと匕首を二振り、手には改造した9連発ブローニング猟銃を持った。

都井は最初に、自宅で就寝中の祖母の首を斧ではねて即死させた。その後、近隣の住人を約1時間半のうちに、次々と改造猟銃と日本刀で殺害していった。
被害者たちの証言によると、この一連の凶行は極めて計画的かつ冷静に行われたとされている。「頼むけん、こらえてつかあさい」と足元にひざまづいて命乞いをする老婆に都井は「お前んとこにはもともと恨みも持っとらんじゃったが、(都井が恨みを持っている家から)嫁をもろうたから殺さにゃいけんようになった」と言って猟銃を発砲(老婆は致命傷を負い、後に死亡)。しかしある宅の老人は、返り血を浴びた都井に猟銃を突きつけられたが、逃げることもせず茫然と座っていたところ、「お前はわしの悪口を言わんじゃったから、堪えてやるけんの」と言われて見逃されたという。またある宅でも、その家の主人が「決して動かんから助けてくれ」と必死に哀願したところ都井は「それほどまでに命が惜しいんか。よし、助けてやるけん」と言い残しその場を立ち去っている。
都井の凶行はさらに続き、最終的に事件の被害者は死者30人(即死28人、重傷のち死亡2人)、重軽傷3人にのぼった。死者のうち5人が16歳未満。計11軒の家が押し入られ、そのうち3軒が一家全員が殺害され、4軒の家が生存者1人のみとなった。押し入られた家の生存者たちは、激しい銃声と都井の怒鳴り声を聞き、すぐに身を隠すなどして助かった。

そして約一時間半に及ぶ犯行後、都井は遺書用の鉛筆と紙を借りるため、隣の集落の一軒家を訪れた。家人は都井の異様な風体に驚いて動けない状態だったが、その家の子どもが以前から都井の話を聞きに来ていた縁から顔見知りであったため、その子どもに頼み鉛筆と紙を譲り受けた。都井は去り際にこの子どもへ「うんと勉強して偉くなれよ」と声をかけている。その後、3.5km離れた仙の城と呼ばれていた荒坂峠の山頂にて、追加の遺書を書いた後、猟銃で自殺した。