今日という日【5月8日】
■第二次世界大戦中に命を失った全ての人に追悼を捧げる日
2004年5月8日。
2004年の国連総会にて制定。5月8日・9日のいずれかまたは両日に、「第二次世界大戦」で命を失った人々全てに追悼を捧げるよう、国連加盟国、国連諸機関、NGOおよび全ての人に対し要請している。
1945年5月7日午前2時41分、フランスのシャンパーニュ地方のランスにあった連合国遠征軍総司令部で、フレンスブルク政府の「カール・デニッツ」元帥から降伏の権限を受けたドイツ国防軍作戦部長「アルフレート・ヨードル」大将が連合国軍司令長官「ドワイト・D・アイゼンハワー」元帥はドイツの無条件降伏文書に調印した。文書での停戦発効時間は中央ヨーロッパ時間で5月8日23時01分。文書にはソ連軍代表の「イワン・ススロパロフ」大将が証人として署名。正式な降伏文書調印はここで成立した。イギリスは当時西ヨーロッパ夏時間をとっていたため、停戦時間は5月9日0時01分にあたる。
1945年5月8日は、「第二次世界大戦」において連合国がドイツを降伏させたとして、ヨーロッパにおける勝利を記念する日として「ヨーロッパ戦勝記念日」としている。
連合国軍はドイツ降伏後も日本と戦争を続けたが、イギリスでの1945年8月15日未明、アメリカでの8月14日(日本標準時の8月15日)、日本政府は「ポツダム宣言」受諾を国民へ知らせた(玉音放送)。そして1945年9月2日に、日本政府は降伏文書に調印し、「第二次世界大戦」は終結した。
日本では、「ポツダム宣言」受諾を国民へ知らせた「玉音放送」の日である8月15日が「終戦の日」と受け止めている。一方、連合国では、日本政府が降伏文書に調印した9月2日が「対日戦勝記念日」と呼ばれている。但し、連合国のうちソビエト連邦と中華民国、1945年以後に成立した国家では中華人民共和国をはじめとする冷戦時代の東側諸国では、翌日の9月3日が「対日戦勝記念日」となっている。
2004年5月8日。
2004年の国連総会にて制定。5月8日・9日のいずれかまたは両日に、「第二次世界大戦」で命を失った人々全てに追悼を捧げるよう、国連加盟国、国連諸機関、NGOおよび全ての人に対し要請している。
1945年5月7日午前2時41分、フランスのシャンパーニュ地方のランスにあった連合国遠征軍総司令部で、フレンスブルク政府の「カール・デニッツ」元帥から降伏の権限を受けたドイツ国防軍作戦部長「アルフレート・ヨードル」大将が連合国軍司令長官「ドワイト・D・アイゼンハワー」元帥はドイツの無条件降伏文書に調印した。文書での停戦発効時間は中央ヨーロッパ時間で5月8日23時01分。文書にはソ連軍代表の「イワン・ススロパロフ」大将が証人として署名。正式な降伏文書調印はここで成立した。イギリスは当時西ヨーロッパ夏時間をとっていたため、停戦時間は5月9日0時01分にあたる。
1945年5月8日は、「第二次世界大戦」において連合国がドイツを降伏させたとして、ヨーロッパにおける勝利を記念する日として「ヨーロッパ戦勝記念日」としている。
連合国軍はドイツ降伏後も日本と戦争を続けたが、イギリスでの1945年8月15日未明、アメリカでの8月14日(日本標準時の8月15日)、日本政府は「ポツダム宣言」受諾を国民へ知らせた(玉音放送)。そして1945年9月2日に、日本政府は降伏文書に調印し、「第二次世界大戦」は終結した。
日本では、「ポツダム宣言」受諾を国民へ知らせた「玉音放送」の日である8月15日が「終戦の日」と受け止めている。一方、連合国では、日本政府が降伏文書に調印した9月2日が「対日戦勝記念日」と呼ばれている。但し、連合国のうちソビエト連邦と中華民国、1945年以後に成立した国家では中華人民共和国をはじめとする冷戦時代の東側諸国では、翌日の9月3日が「対日戦勝記念日」となっている。