今日という日【11月8日】 | 今日は何の日?【トリビアン】で雑学王

今日という日【11月8日】

■ヒトラー暗殺未遂事件

1939年11月8日。

ナチス政権下のドイツのような警察国家の体制下では、民衆レベルの組織的反政府運動は極めて困難であった。秘密警察ゲシュタポが国民を厳しく監視し、反政府運動を容赦無く暴力的に弾圧した。その状況下で武器も持たない一般人が、強力な兵器で武装した親衛隊、ドイツ軍に抵抗する事など不可能であった。それでも政権成立当初から第二次世界大戦勃発の1939年頃までは、個人・単独犯や小規模なレジスタンスなどによるヒトラー暗殺は試みられていた。

1939年11月8日、当時36歳の家具職人「ゲオルク・エルザー」によるビアホール「ビュルガーブロイケラ」爆破事件。

ヒトラーは1923年11月8日の「ミュンヘン一揆」を回顧するため、毎年その日にビアホールで約1時間半ほど演説するのが恒例だった。機械工作の才能が有った「ゲオルク・エルザー」は、時計仕掛けの時限装置付き爆弾を製作し、約35日間かけてホール内のコンクリート柱をくりぬいて穴を開け、その中に演説時間内に爆発するようセットした爆弾を仕掛け、演説中のヒトラーを爆殺しようとした。

午後8時、ヒトラーは予定通りにビアホール「ビュルガーブロイケラー」に到着。8時10分頃から演説を開始したが、その日は演説を短縮し、予定を早めて9時12分頃にはビアホールから出た。数分後の9時20分、爆弾が爆発し8人が死亡、63人が負傷した。負傷者の中には「エーファ・ブラウン」の父親もいた。折りしも第二次世界大戦勃発から2ヶ月、、ヒトラーは情勢の検討と西方攻撃作戦の準備のため、至急ベルリンへ戻る予定だった。11月8日夜は悪天候のため飛行機ではなく、時間のかかる列車でミュンヘンからベルリンへ移動するため、例年より早めに演説を終了し会場から退席する事となり、運良く爆発に巻き込まれなかった。その日の夜、スイスへの国境侵犯の疑いで「ゲオルク・エルザー」は逮捕された。当初は爆破事件の容疑者とは見なされていなかったが、現場の写真や爆弾の設計図を所持していたため、やがて爆破事件の容疑者として追及される。共犯者や背後関係が疑われ、ナチスによる自作自演説も流れたが、結局はエルザーの単独犯行とされている。彼はザクセンハウゼン次いでダッハウの強制収容所に収監され、大戦終結直前の1945年4月9日に殺害された。

この事件以後、爆発物の管理が厳重になり、その結果大掛かりな抵抗運動がやりにくくなった事は否定できない。