今日という日【4月14日】 | 今日は何の日?【トリビアン】で雑学王

今日という日【4月14日】

■SOSの日

1912年4月14日。

豪華客船「タイタニック号」がニューファンドランド島沖で氷山に衝突。この時に発せられたSOS信号が世界で初めてのSOS信号といわれていることに因む。

1912年4月10日、「タイタニック号」はイギリスのサウサンプトン港にある専用の埠頭であるオーシャンドックからニューヨークへ処女航海に出航。「エドワード・J・スミス船長の指揮下のもと乗員乗客合わせて2,200人以上を乗せており、一等特別室は、6日の航海の費用4,350ドルと伝えられている。
4月14日23時40分、北大西洋のニューファンドランド沖に達したとき、「タイタニック号」の見張りが前方450mに高さ20m弱の氷山を肉眼で発見。この海域は暖流と寒流がぶつかりちょうど境界面に位置するため、世界的にも海霧が発生しやすい海域として有名であり、「タイタニック号」が氷山に遭遇したころも直前まで海面には靄が漂っていた。
衝撃は船橋(ブリッジ)では小さく、回避できたかあるいは被害が少ないと思われた。船と氷山は最大限10秒間ほどしか接触しておらず、船体の傷はせいぜい数インチ程度で、損傷幅を合計しても1m²程度の傷であったことが後の海底探索によって判明している。
だが、右舷船首のおよそ90mにわたって断続的に生じた損傷が船首の6区画にもたらした浸水は防水隔壁の限界を超えていて、隔壁を乗り越えた海水が次々と防水区画から溢れたことで船首から船尾に向かって浸水が拡大。沈没が確定した。
当時のイギリス商務省の規定では定員分の救命ボートを備える必要がなく、1,187人分の救命ボートしか用意されていなかった。

結局、1,500人近い乗員乗客が本船から脱出できないまま、衝突から2時間40分後の2時20分、轟音とともに「タイタニック号」の船体は2つに大きくちぎれ、海底に沈没した。沈没後、すぐに救助に向かえば遭難者の皆が舷側にしがみつき救命ボートまでもが沈没するかもしれないと他の乗組員が恐れたため、数ある救命ボートのうちたった1艘しか溺者救助に向かわなかった。しかし沈没からすでに30分は経過しており、もはや手遅れだった。4月の大西洋は気温が低く、人々が投げ出された海は海水温零下2度。乗客の大半は低体温症などでほとんどが短時間で死亡(凍死)か、低体温症以前に心臓麻痺で数分以内で死亡したと考えられている。その中には赤ん坊を抱いた母親もいたという。