今日という日【10月30日】
■たまごかけごはんの日
2005年10月30日。
島根県雲南市で開かれた「第1回たまごかけごはんシンポジウム」にて制定された。
シンポジウムが開かれたきっかけは、卵かけ専用の醤油「おたまはん」を同市の第三セクター「吉田ふるさと村」が開発したことに起因する。シンポジウムの内容は歴史や魅力について語り合うものであり、卵かけご飯にまつわる思い出や料理法が募集された。現在でも毎年開催されている。
日本において、鳥類が産む卵を食用とするようになったのは比較的新しく、「卵かけご飯」を食べるようになったのは明治時代である。
日本は周囲を大海に囲まれ山が多いという地理的条件から、全長が短く流れの速い川が多く、淀みなく流れ有毒な細菌が繁殖しにくい水に恵まれていた。このため、魚介類等の刺身を始めとして旬の山菜を生のままでも清潔に調理することができ、生食する料理が少なからず存在する。その一方、牛や馬などの大型哺乳類は、農耕の重要な労働力として家畜化され、食用にすることは少なかった。一部の哺乳類は山河の守り神や神仏の使いとして崇められていたことも有り、食用にする際は、長い耳を羽根に見立て味が鳥に類似していることから、鳥類の一種としてのウサギや、海に棲む鯨を魚類として認識していたことから、山鯨としてのイノシシのような一部を除き、主に鳥類や魚介類を採ってきた。
一般的に鶏卵を食べるようになったのは、江戸時代とされる。愛玩用に広く飼われるようになったニワトリの産んだ卵(無精卵)が全く孵化しない事から、卵は生物では無いという認識になり、卵を食する事がタブー視されなくなった(鳥類の肉を食するよりも抵抗が小さくなった)。それにより、採卵用にニワトリを飼う習慣が広まった。しかしながら、それでも長きに渡って高価な食材であり、「卵かけご飯」のような簡便な料理に用いる事は考えられなかった。
近代に入った1877年頃、日本初の従軍記者として活躍し、その後も数々の先駆的な業績を残した「岸田 吟香(きしだぎんこう)」が「卵かけご飯」を食べた日本で初めての人物とされ、周囲に「卵かけご飯」を勧めた。
その後、生卵は第二次世界大戦後の食糧難の時期を経て、高度経済成長期に至る直前までは希少価値があり、病人食や虚弱体質の栄養補給として用いられることが多かった。一般庶民が卵を気兼ねなく口にできるようになるのは、高度経済成長期以降であった。