今日という日【9月10日】 | 今日は何の日?【トリビアン】で雑学王

今日という日【9月10日】

■大日本蹴球協會創立


1921年9月10日。


現「日本サッカー協会」の前身である「大日本蹴球協會」が創立。

「財団法人日本サッカー協会」は、日本国内におけるサッカーの活動の振興を行う統括団体。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)や日本フットボールリーグ(JFL)、日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)の試合や天皇杯全日本サッカー選手権大会、全日本女子サッカー選手権大会などの公式サッカー大会を主催する。プロ・アマの活動を一本化して管理している。


1918年、日本にはまだサッカー(当時:蹴球)を統括する組織はなく、日本一を決める全国大会も実施されていなかった。この年の1月に大阪の豊中で行われた「日本フートボール優勝大会(関西地区のみの大会。現:全国高等学校サッカー選手権大会の前身)、同年2月に関東地区で「関東蹴球大會」、名古屋では「東海蹴球大會」が別々に開催され、1918年以降にも引き続いて開かれた。

東京で行われた「関東蹴球大會」には「チャールズ・エリオットイギリス帝国大使」も列席し、その模様を本国に伝えた。これら1918年に行われた一連の旧制中学や師範学校及び旧制高等学校を中心とした地域大会の開催の模様をイギリス帝国の新聞が「日本サッカー協会が発足し、全日本選手権大会が始まった」と誤って報道した。


翌1919年、「チャールズ・エリオット大使」の報告に加え、その新聞記事を見た「イングランドサッカー協会(FA)」は、イギリス帝国大使館の「ウィリアム・ヘーグ書記官」が日本の全国大会優勝チームに授与するための「FA杯」の寄贈を提案したこともあり、「日本蹴球協會の設立を祝して銀杯を寄贈します。全國大會の優勝チームに授與して下さい」といったメッセージを添えて、イギリス帝国大使館の「グリーン在日大使」を通じて日本に「シルバーカップ(銀杯)」を寄贈する。FAは当時、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカなどイギリス帝国各地の協会に、ほぼ同じデザインの銀杯を贈っている。

1902年日英同盟を結んで以来、東アジア及び太平洋地域の覇権をめぐり、日本は当時、イギリス帝国にとって重要な同盟国だった。つまり、銀杯の寄贈には、当時の日本がイギリス帝国に重視されていた、あるいはイギリス帝国加盟国に準ずるものとみなされていたことが背景としてある。


FAが日本に銀杯を寄贈したという3月12日付の東京朝日新聞の記事を、東京高等師範学校(東京教育大学を経た、現筑波大学)の校友会蹴球部長を務めていた「内野台嶺」が読み、そのカップの行き先を思案することとなる。

しかし、なかなかいい案が浮かばず、東京高等師範学校の校長で当時、「大日本體育協會(現:日本体育協会)の会長も兼務していた戦前の日本スポーツ界の重鎮「嘉納治五郎」を訪ねた。そして「この際、急いで設立せよ」と、、内野は嘉納から厳命を受ける。内野はその後、イギリス帝国大使館の「ウィリアム・ヘーグ書記官(そのまま大日本蹴球協會初代賛助会員となった)と体育協会の各理事の協力を仰ぎ、規約・規則の作成と役員人事を進め、1921年9月10日に「大日本蹴球協會」を創立。初代協会会長に「嘉納治五郎」の信任が厚く、「大日本體育協會」の筆頭理事を務めていた「今村次吉」が就任した。


この「大日本蹴球協會(現:日本サッカー協会)」設立のきっかけとなったシルバーカップは現存していないと言われている。太平洋戦争の戦況が悪化すると、日本政府は戦争遂行のために、広く国民に鉄や銅、貴金属などの拠出を求めるようになった。スポーツ界も例外ではなく、1945年1月の銀器献納でシルバーカップは姿を消したと言われているが、真相は不明である(終戦後に内務省関係の役所で見かけたとする話もある)。

尚、そのシルバーカップが2011年8月にイングランドサッカー協会の手で復元され、改めて日本サッカー協会に贈呈される運びとなり、8月23日にイングランド・ウェンブリー・スタジアムにて贈呈式が行われた。