今日という日【8月24日】
■森永ヒ素ミルク中毒事件発覚
1955年8月24日。
この年の6月頃から主に西日本を中心としてヒ素の混入した「森永乳業製」の粉ミルクを飲用した乳幼児に多数の死者、中毒患者が出した食中毒の事件が発生した。
当初は奇病扱いされていたが、「岡山大学医学部」で「森永乳業製」の粉ミルクが原因であることを突き止め、この日、岡山県を通じて当時の厚生省(現:厚生労働省)に報告がなされ、事件として発覚した。
1956年当時の厚生省の発表によると、ヒ素の摂取による中毒症状(神経障害、臓器障害など)が出た被害者の数は、12,344人で、内死亡者は130人。
患者は、現在も脳性麻痺、知的障害、てんかん、脳波異常、精神疾患などの重複障害に苦しみ、手足の動かない身体をかがめ、皿に注がれたお茶を舐める様に飲むなどの日常を強いられている。また、就職差別や結婚差別を受けたり、施設に送られた被害者や、ミルクを飲ませた自責の念で今なお精神的に苦しんでいる被害者の親らも多いと言われている。
森永側が原因をミルク中のヒ素化合物と認めたのは、発生から15年経過した1970年の裁判中のこと。1960年代には、「森永製品」のボイコット運動が発生している。当時、「森永」は乳製品の売上では、「明治」「雪印」をしのぐ企業であったが、裁判が長期化したこともありイメージダウンは拭いきれずシェアを大きく落とした。特に岡山県では事件以降「森永製品」への不信感が消費者に根強く残ったことから、売り上げの見込めない森永製品を一切扱わない商店も数多く存在した。岡山県内でのこのような動きは事件が一応の決着を見た1980年代まで続いた。
最終的に、被害者、厚生省、森永乳業の話し合いにより、1974年に「財団法人ひかり協会」が設立され、被害者を恒久的に救済している。
この事件は、食品添加物の安全性や粉ミルクの是非などの問題で、現在でも引き合いに出される事例となっており、食の安全性が問われた事件の第1号でもある。