今日という日【7月9日】
■松山城放火事件
1933年7月9日。
松山城放火事件は、愛媛県松山市の松山城が放火され、焼失した事件。
放火犯が最初の犯行に及んだのは1932年9月15日のことで、まず道後温泉にある「道後ホテル」が炎上。19時間後には近くの曹洞宗護国山・義安寺も炎上。当初、警察は失火か放火か断定していなかったにもかかわらず、地元新聞社は放火によるものと憶測記事を掲載した。これは、松山のシンボルである「松山城」が標的にされることを恐れて警鐘のためであった。
そして1933年7月9日。松山城が放火され、天守は類焼を免れたが、小天守・南北隅櫓・多聞櫓が焼失した。不幸にもそれが現実になった。その後地元紙「海南新聞(現:愛媛新聞)」に対し、放火犯からと思われる手口を詳細に記した手紙が寄せられるようになったが、犯人はなかなか判明しなかった。
熊本県警は放火現場に血と膿が付着した紙くずから犯人の特定に成功し、1936年5月に宇和島市で犯人を逮捕。犯人は1932年から1936年までの4年間に45箇所に放火をしていた。
一連の放火で犠牲者は出ていなかったが、1937年11月12日に松山地裁は刑法の放火罪では最高の死刑を宣告。2審の広島控訴院(現:広島高裁)も控訴を棄却し、1939年9月15日に広島刑務所で死刑が執行された。