今日という日【5月31日】
■FIFAワールドカップ韓国・日本大会開幕
2002年5月31日。
第17回FIFAワールドカップが2002年5月31日から6月30日にかけて日本と韓国で共同開催された。
21世紀に入って初のFIFAワールドカップは、大会史上初めて日本と韓国の2ヶ国による共同開発となったが、アジアで開催された事も初めてであった。さらに日本は初の本大会未経験国(1996年時点)での開催地決定であった。
2002年5月31日から6月30日の31日間に、日本と韓国それぞれ10ヶ所、計20都市で64試合を行った。ブラジルが5度目の優勝を遂げ、開催国である日本は決勝トーナメント進出(ベスト16)、韓国は4位の成績を残した。
本大会では多くの誤審疑惑が存在した。ブラジル対トルコ戦ではPK判定されたファールは誤りであったし、イタリア対クロアチア戦でオフサイド判定されたプレーにも疑問が呈された。ブラジル対ベルギー戦ではゴールが直前のファールにより無効とされた。
特に注目を集めた韓国対イタリア戦は、エクアドル人のバイロン・モレノが主審を務めたが、試合開始早々、イタリア選手に韓国選手のユニフォームを引っ張って倒したという理由でイエローカードが出され、さらに韓国にPKが与えられた。延長13分にはトッティが倒れたプレーがシミュレーションと判定され、2枚目のイエローカードを受けて退場となった。延長20分にはイタリアが決めた得点がオフサイドの判定により取り消され、逆に韓国は安貞恒がゴールデンゴールを決めてベスト8に進出した。韓国側有利とも思える判定に対し、トッティは「審判を変えて最初からワールドカップをやり直すべきだ」と不満をあらわにし、事態沈静化を図ったFIFAのブラッター会長が大会中に異例の声明を出すほどであった。FIFAはイタリア戦での誤審を認定して、主審であったモレノの国際審判資格を剥奪した。最終的にはこの誤審は買収などの規約違反によるものではなかったと結論付けて決着とされたが、FIFAと国際審判に対する信頼を著しく低下させた。
続く韓国対スペイン戦でも誤審は続いた。この試合はエジプト人のガマル・ガンドゥールが主審を務めたが、48分にスペインの得点がファールの判定により取り消され、結局何のファールがあったのかも明らかにされなかった。延長2分にはその直前のセンタリングがゴールラインを割っていたとの線審の判定でスペインの得点は取り消された。試合はスコアレスのままPK戦となり、韓国が勝利した。このように決勝トーナメントに入ってからは騒動は韓国戦に集中し、韓国代表の相手国はいずれも上位進出候補の強豪国であったことから、「ホスト国の韓国代表チームに対し意図的に有利な判定が行われたのではないか」との疑惑が広まった。スペイン戦の後、FIFAは国際審判への不審の目を重く見て、これまでの『異なる大陸から審判を起用する慣例』を変えて、準決勝以降の試合は全て欧州出身の審判で固めた。
この一連の誤審疑惑問題における騒動は、2006年3月24日にFIFAの映像ライセンスを持った会社が創立100周年を記念して発売したDVD『FIFA FEVER FIFA創立100周年記念DVD』に収録されている「世紀の10大誤審」の6位~9位(6・7位がイタリア戦、8・9位はスペイン戦)にランクイン(更には同大会におけるブラジル対ベルギー戦が3位)と、半数がこの大会のワールドカップで占められる結果となった。これに関して大韓サッカー協会は猛反発した。大会終了後7年が経過した後も、2000年代のサッカーの出来事を扱ったスポーツイラストレイテッド誌の記事でも韓国代表は「シンデレラ」として扱われたが、イタリア戦、スペイン戦でジャッジに大いなる疑惑があると記された。