二宮金次郎。
おそらく知らない人はいないくらいの有名人。
どこの小学校にもだいたい像が置いてあり、薪を背負いながら書物を読み、勉学に励むという、その御姿から、いわゆる勤勉の象徴として学生のお手本となっている人物である。
まぁどちらかというと、夜の校庭を走っているだとかいう方が皆の思い出には残っているのかもしれない。
(薪背負いながら、本読みながら、マラソンするって、どんだけスーパーマンなんでしょww)
これだけ知名度が高い二宮金次郎ではあるが、実は、歴史上の偉人でもある。
二宮尊徳という名で、「たかのり」とか「そんとく」と読む。だいたい「そんとく」と呼ばれることが多い。
筆者もなんとなくすごい人であることは知っており、
神奈川の小田原であったり、静岡の掛川であったりと、意外とあちこちで名前を拝見していて、先日、栃木でも尊徳の名前を見たので、ちょっと気になったので、調べてみることにしたのである。
天明7(1787)年7月23日に現在の神奈川県小田原市栢山(かやま)に生まれる。
百姓の出。
ちょうど天明の飢饉の時に生まれているので、その時の当該地域がどうであったのかは不明だが、まったくもって大変な時期に生まれている。
さらに5歳の時に、南関東を襲った暴風で酒匂川の堤防が決壊、氾濫。
尊徳の家の田畑も勿論流されてしまう。
14歳の時に父が他界、16の時に母が他界。
伯父のところに身を寄せ、農業に励む。
空き地を耕作したり田畑を小作に出したりなどして、銭を稼ぎ、20才の時には、生家を復興。
このころには180cmの90㎏超の体格というので、幼少期(二宮金次郎像)からみるに、すっかり大きくなってしまったもんである。
さらに、その手法で、近親者の家政も再興。
さらにさらに、その後仕えた小田原藩家老服部家の財政も再興。
さらにさらにさらに、小田原藩主の分家の宇津家の知行所である、今の真岡市も再興。
尊徳はそんなこんなで、亡くなるまでに605の村々を立て直したんだとか。
最後は今の栃木県日光市で死去。70歳。
具体的に、どんなことをしたのか。
ざっくりというか、筆者がすごいなーと感心したもの(笑)
① 「実行すること」
理論はいい、とにかくやる。の徹底。
② 分析
昨年の生産高を調べ、それに基づいた配分契約の設定(領主・生産者)
③ 質素倹約
②で取り決めたように配分。もちろん①の徹底もあり、生産高が上がると、勿論、収益が伸びる。しかし、そこで生活水準を上げるのではなく、それを維持するということ。
④ 推譲
③のつづき。つまり、収益があがった分がどこに行くかということ。
なんと、他人(将来)のために使いなさい、というのが推譲。
灌漑事業なんかに使われ、それは回りまわって、自分に帰ってくるのである。
まさに「情けは人のためならず」。
して、そのためには、そうとうな心の余裕が必要なわけで、そのような心を「心田」と呼んでいたらしい。良い言葉。
だいぶ端折ってますが、こういうようなのを「報徳仕法」という。
どっかの村では大飢饉の時でも蓄えがあり、1人の餓死者も出なかったというのをどっかの町の説明文で読んだような記憶もあるので、かなり実績のでる方法であったのであろう。
なんとなく調べてだけでもかなりすごい人だったことがわかる。
何より、百姓の出で最終的には幕臣まで上り詰めたのだから、まさに立身出世。
尊徳の具体策などもっと勉強してみても面白いかも。
最後に尊徳△な言葉を。
「道徳なき経済は犯罪であり 経済なき道徳は寝言である」
参考文献
Wikipedia: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E5%B0%8A%E5%BE%B3
報徳博物館:http://www.hotoku.or.jp/
二宮尊徳のレポート:http://www7a.biglobe.ne.jp/~fuchuu10ki/newpage2.htm