誤解されるかもしれないけれど約4年ぶりとなる今回もTravisの新作「The boy with no name」は寒い。
ソングライターでありヴォーカルであるFran Healyが紡ぎだす音世界は、荒涼として吹きすさぶ風は強く、そこはカラフルな色の存在しないモノクロームの世界であり、吐く息が真っ白になるほど寒い空間であって、その中でほのかにかすかに感じることが出来る温かさが非常に力強く心に刺さる。
現実の世界を冷静に分析すれば、悲しいこと悪いこと醜いもの憎しみや怒りが溢れていて、楽しみや希望などほんの一瞬の出来事に過ぎない。でも僕たちはその一瞬のために努力するのである。Travisの音楽とはそんな現実を切り取ったリアルで身近なものなのであり、だからこそ信頼に値する音楽であるといえるだろう。絶望の中にかすかにみえる希望、極寒の中でほのかに灯る炎。今にも消えそうに見えても消えないもの、これが人間を前に進ませるのである。
Travisに駄作はない。前作「12 memories」にはこうした希望の光がとても感じにくい作品ではあったけれど、それとてTravisというバンドの長い歴史の中で見れば「The boy with no name 」という希望の光をより鮮明にするために必要な通過点だったことに気づく。
アルバム製作中Franが父親になり、名前をつける前に写真を送ったメールのタイトルをそのままアルバムタイトルに冠したというエピソード。僕もあなたも「The boy with no name」だった時があり、「The girl with no name」だった時があった。キレイな部分だけを見て生きていくのではなく、醜い部分まで含めて自分の人生として生きるということ。人間とは弱い生き物だから、みんな悩んでいるのだと分かち合えるだけで心が楽になることもある。みんなが希望に満ち溢れているわけではないということを知るだけで前に進む力になることもある。そういう“ことば”がグッドメロディにのることで優しくたくさんの人たちの心に届く。
Travisを聴いていつも感じることはそういうことである。
公家尊裕(Takahiro Kouke)
