ゴルフ部に入部してはや四年、気付けば部を追い出される立場になっていた。これといって感傷に浸る要素を、引退に際して未だ見つけられていないが、何か記録の一つや二つを残し、嘗て自分がそこにいたという爪痕は付けておきたい。

そこで、改めて部活動から身を引き、一定の時間が経った今、振り返りがてらブログを書いてみようと思う。

 

 



……こういう書き振りを最初に思いつくあたり、部に在ることに意義を見出そうとしていた未練というか、コンプレックスがあったのだなと痛感させられる。自分の知る限り、ついぞリーグ戦にメンバーとして一度も出場しないまま身を退いた初の人間である。そんな自らの境遇を嫌い、また、大会で成績を残すことを至上命題とする部活動の体制そのものを嫌い、主務に就いたのちは部の統制面で種々手を加えようとした。主軸には部則の改正を据え、他の外交的努力も多く行ったが、それらの淵源は体制の転換にある。結局、年が明けると各大学のゴルフ部を統括する連盟の局長という役目をいただき、そこでの活動に一定の評価をもらえたことから居場所感を覚え、そこに入り浸るようになっていた(これは個人的興味から或る大会の運営に携わってみたところ、後に委員長になる者のお眼鏡に適い任を命ぜられたことによるものである。後述の如く、自分のゴルフ人生を良いものとして、いま区切りを付けられているのは、その者と出逢えたことに因るものが大きい)。その時点で、部活動の動静にさしたる興味は失せていたように思う。

 

 

総じて、自分のゴルフ人生という点では良い方向に一応の決着を見たが、大学ゴルフ部員としての振り返りに当たっては、あまりに芳しいものがない。

今でも、部活は好きになれない。そこにいる面々との交流こそあれ、組織としての当該団体には依然嫌悪感を覚える。「使えない」というレッテルを貼られて四年間を過ごす惨めさは、この部活では決して解消し得なかった。努力すれば自らも周囲の環境をも変えられる環境ではあったのだと、回顧する今では思うが、当時の自分はそれを確信できる状況になかった。

 

 

通常、いわゆる引退ブログというのは、努力とその結実としての成果をわかりやすい因果関係として結びつける構図を取るものだろうが、それを書こうという気に全くならない。部活のアカウントで投稿されるわけでもないから自由な内容で投稿できる気楽さもあるし、本当に部を好いたと言わんばかりのことを書けるような四年間ではなかったのだと思う。個人の努力部分に着目すれば、それらしいことは書けるかもしれないが、本当に努力したと自ら胸を張って言えるのは連盟内での活動が主であって、部活動ではない。スコアも100を切れた時点で、自らのゴルフの技量を研鑽することがテーゼにはならなかった。後輩らにスコアを抜かれていくことも、最初こそ悔しかったが、果たしてそんな感情も稀薄になった。

 

 

そもそも、部活動における究極は、出場する大会において然るべき成績を残すことである。個々の所属員のレベルを上げることはその手段であって目的ではないはずだが、現状はそれが倒錯している。大元に立ち返れば、たとえば新入部員を多く確保し、将来性のある部員の確保可能性を高め、且つ組織の持続性を担保することも、部の目的には合致するはずだ。

そして更に大元にある、上位ブロック勢とは異なりプロになるわけでもない人間がゴルフに打ち込むのはなぜか、という点を考えたとき、ゴルフの持つ社交的性質を踏まえて対外交流戦を積極的に行ったことにも合理性があると信じている。ある程度の実力がある者には対外交流の場は自然と生ずるが、弊部においては凡その部員にそれがない。おそらく一生同じ場で凝り固まり続けるだろう。それではゴルフをする本旨が失われる。

 

 

是非とも、部内で上に立つ人間におかれては、評価軸の見直しをすべきだと思う。人にとって適性となるものは個々に異なるし、単一軸のみによる評価は平等性はあるが公平性はない。それを踏まえた運営を行うべきである。そしてそれを実現できるのは、残念ながら既存のスコア中心主義的評価において地位を確立した人しか、弊部にはいない。この文章を読んでいるかもしれない部の諸賢らに於かれては、それをする必要がある。現に諸賢らは、その軸のみを至上とし、他を蔑み蹴落としているように思えてならない。このまま固執すれば、革命とまでは言わずとも、先にあるのは(緩やかではあろうが)組織の崩壊以外にない。

 

 

……ここまで徒然と思うところを書いてみたが、見返してみると、如何にルサンチマンに満ちた、稚拙で未熟な人間味であったかを露骨に映していて、たいへん忸怩の念に堪えない。ただ、それが当時の自分の率直な感情であったことも否定できない。

まず、自分の部内での経験は、ひとえに挫折と、その超克からの逃避である。連盟という別の場所に軸足を移したのも、その一形態であったのだろう。そして、部として目指すメンバー個々人の技術向上と、私の視点から見た組織維持の手段は、本来は相補関係にあるべきものであって、対立すべきものではないはずだ。にもかかわらず、本稿ではそれを二項対立的に描いている。その背景には、冷静な制度論というより、感情の澱があることは否めない。

文の調子も、異なるベクトルでの意地の張り合いのようなもので、単なる感情的対立の域を脱していない部分もあるだろう。尤も、憂さ晴らしとして斯くブログを書いている以上、その性質を完全に否定するつもりもない。

 

 

ひとまずこんなところだろうか。今後はもう少し日常的で、平和な内容のブログを気が向いたときにちょこちょこと書いていけたらと思う。

 

 

 

 

※本稿は筆者個人の体験及び主観的評価に基づくものであり、特定の個人又は団体を誹謗中傷する意図はありません。