ここは、沖縄戦当時の県知事であった島田知事が県幹部を集めて県庁としての活動停止を命じた場所であり、沖縄県庁最後の地として知られるガマです。

 島田知事は、前任であった沖縄県知事が香川県知事に転任したために1945年1月に沖縄県知事の打診を受け、即受諾し着任しました。それは沖縄戦の始まる約2ヶ月前であり、周囲の者からは米軍による沖縄上陸は必至と見られていたため止められましたが、自分が行かずに他の者を死地に送ることは出来ないとして、大和刀と自決用の青酸カリを待ち沖縄へ向かいました。沖縄着任後は前任者時代からの軍との関係改善に努め、守備隊である第32軍参謀長から住民への食料確保を頼まれた際には自ら台湾へ足を運び、3000石分の米を確保するなど、喫緊の問題を次々と解決させました。激戦が予想される沖縄南部から北部への住民避難にも必死に取り組みましたが、遂に米軍が上陸し、沖縄は南北に分断されてしまいます。それでも島田知事は残された住民の保護と避難に県庁関係者と警察官を指揮しながら努めましたが、圧倒的な戦力を誇る米軍を前に6月にはとうとうこの壕で組織的活動の解散を命じました。その後の消息は諸説ありますが、遺体は発見されておらず現在でも分かっていません。このように、最期まで県民に寄り添い亡くなった島田知事は県外出身にも関わらず、沖縄県のためにその身を犠牲に職務を全うしました。その功績を後世に語り継ぎ、せめてその御霊が安らかであってほしいと切に願っています。