与那国が名前から分かるように国家であったこと、与那国が台湾との交流が深かったことがこの資料館で分かります。また、薩摩藩の重税が要因であるものの、琉球王国の支配下となった後に厳しい人頭税を課せられたことを考えると沖縄の資料館などで見る「薩摩藩による琉球王国への侵攻」というのは与那国を侵攻したことを思えば、琉球王国も人のことを言える立場では無いと感じると同時にどの国もそういった歴史があるということも分かります。そして、こういった資料館は誰目線で説明しているのかで受けての印象が大きく変わることが良く分かりました。