ここには、終戦時、大日本帝国の陸軍大臣であった阿南惟幾の像が立っており、隣には顕彰碑もあります。
 終戦間際の大日本帝国では、原爆投下後も降伏するか、継戦するかで意見が分かれていました。特に陸軍は、海軍と違い、大部分の戦力を依然として大陸側に有し、本土決戦に向けて着々と準備を進め、南から侵攻してくるアメリカ軍に対し、東北方面へ戦力を移動させつつありました。
 そのため、阿南大将としてもその立場上、陸軍の総意を伝えなくてはならず、国体護持の他、3つの条件をアメリカ側が承認しない限り、戦争継続をするべきであると訴えました。しかし、各大臣と討論しても結論はでず、最終的には昭和天皇の聖断によりポツダム宣言受諾を選択しました。
 阿南大将はこの結果を真摯に受け止め、陸軍各員へ報告しましたが、陸軍内ではこの判断に納得できない者も多く、その対応に追われます。
 阿南大将は、自宅で最後の家族団欒も、ろくに過ごせぬまま、遺書を書き残し、割腹自決を行いこの世を去りました。
 この時、陸軍では、降伏反対派がクーデターを起こしていましたが、阿南大将の死後、その動きは無くなり、大日本帝国は降伏しました。
 阿南大将の遺書には「一死をもって大罪を謝し奉る」とあり、阿南大将が一身に陸軍を背負い自決したことがよく分かります。
 敗戦濃厚となった当時、終戦間際の難しい舵取りを行う誰もやりたくない立場の職務を全うし、その最期は、まさに帝国軍人として、武人として潔い姿だったのではないでしょうか。