この海軍基地は当時、秘匿とされていたため、終戦後も長らくその存在が分かりませんでした。
 太平洋戦争末期、沖縄戦の友軍地上部隊を支援するため、この基地から水上爆撃機瑞雲が敵艦に夜間攻撃を実施し、零式水上偵察機が哨戒、偵察を行う厳戒体制をとっていました。
 しかし、沖縄戦が悪化の一途を辿ると、零式水上偵察機も雷撃機として改装され、来る本土決戦に備えていましたが終戦となりました。
 自分は他の史跡で沖縄戦に参戦した陸軍兵士の回想録を読んだことがあります。
 そこには、「日夜、海軍の特攻機や爆撃機が本土から飛び立ち、自分たちのために戦ってくれている」と書いてあったと記憶しています。
 このことからも、ここを飛び立ち沖縄航空戦に参戦したパイロット達が、どれほど陸軍の地上部隊に勇気を与えていたかがよく分かります。
 また、この基地の兵士の宿舎には秘匿性を高めるために一般の民家が使われています。
 沖縄戦もそうですが、地元民の多大なる協力と真心には心底、感心させられ、頭が下がります。
 そういった記憶を忘れないためにもこの場所を特定し、記念碑を建てられたことに感謝したいです。