国内で唯一の刑務所博物館です。
 明治12年頃、明治維新の影響で台頭した国事犯や、西南戦争で明治政府軍に敗れ、囚人となった人が国内に溢れ、その収容が大きな問題になっていました。
 また、彼らの多くはもともと荒れ狂った殺人犯等ではなく、旧武家階級の気骨ある士族でした。
この時期に収監されていたのが、前述した通り、芯のある志士達であることを考えると、胸が痛みます。
 確かに彼らは明治政府に逆らい戦いましたが、自分の意見を押し通し、忠義を全うしようとしただけです。
 かと言って明治維新が達成されなければ、日本の近代化は遅れ、日本は諸外国の植民地になっていたかもしれません..
 どちらにも相応の大義があり、戊辰戦争、西南戦争の勝者が違えば、当時の囚人と典獄の立場は逆だったかもしれません。
 相反する二つの大義から、どちらにつくのかで、その後の結果が大きく変わってしまうということをここに来て改めて感じさせられます。
 その後、帝政ロシアが南下政策を推し進めると、明治政府は北方の守りを固める屯田兵を移動させるため、明治24年までに札幌から網走までの中央道路完成を目指します。
 そして明治23年、その一区画(約163km)建設に、網走監獄に収監されていた強盗、殺人、強姦等の罪を犯した囚人達を動員し、劣悪な環境下で多大な犠牲を払いながらも、何とか完工させ、北部防衛及び北海道開拓に大いに貢献しました。
 また、太平洋戦争時には国の危急を救うべく、囚人達は滑走路建設に従事し、南方のテニアン島等で活躍しました。
 しかし、アメリカ軍がテニアン島に上陸すると、防衛していた日本軍は悉く戦死。
 テニアン島の滑走路はアメリカの占領下となり、終戦間際にはそこから原爆を積んだ爆撃機が飛び立っています。