こちらに展示されているのは、2006年に運行を終了した旅客機「YS-11」ですが、この機体は戦後初めての国産航空機であり、その設計に携わったのは、帝国陸海軍主力戦闘機を手掛けた設計者達です。
帝国海軍側は「零戦」の堀越二郎、「紫電」の菊原静男、帝国陸軍側に「隼」の太田稔、「飛燕」の土井武夫など、戦間期の日本の航空産業を支えた、そうそうたる設計メンバーで構成されました。
名だたる設計者が共同で開発にあたったため、何度も設計段階での論争が絶えず、その中でも、主翼の位置で堀越氏と太田氏が言争いになったことは有名です。
しかし、その甲斐もあり、堅牢で信頼性の高い機体となりましたが、その反面で軍用機の特色が強く、居住性に少し難があったものの、敗戦後のGHQにより、航空機の生産・開発・研究の全てを停止されていた日本にとっては正に航空産業の復活の狼煙となり、また設計者達からすれば、最後の仕事でようやく帰ってくることのできる飛行機を手掛けられたことは、とても考え深いものがあります。
合計生産機体数は182機にものぼり、国内民間機、官庁、輸出など幅広く活躍し、1964年の東京オリンピック時には聖火の輸送という大役を果たし、日本の空を日本の翼で飛ぶその姿を敗戦のどん底から不死鳥の様に蘇った日本と重ね、当時の国民にとって、日本復興の シンボルの一つとなりました。